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そのとき、会社が動いた。

なぜナレッジワークは、

8つの事業より営業を選んだのか

ナレッジワークの転機を、公開情報からたどります。

2016年7月。組織の状態を診断するソフトウェア「モチベーションクラウド」が売り出されました。

立ち上げで営業の先頭に立ったのは、のちにナレッジワークを起こす麻野耕司さんです。ところが、はじめに売れるのは麻野さんひとりでした。メンバーに一人ひとり教えても、なかなか成果は出ない。

そこで麻野さんは、教え方を変えます。人に教えるのをやめて、営業資料をつくり込んだのです。すると、メンバーがみるみるうちに上手く提案できるようになっていきました。営業資料は、すべての商談で使われる。資料の質を上げれば、話すのが苦手な人でも商談を前に進められる。麻野さんは、そう振り返っています。

この気づきが、4年後に生まれる会社の形を決めます。ただし、最初からそうだったわけではありません。2020年に会社を起こしたとき、麻野さんが掲げていたのは、営業ではなく「働く最高の1日」でした。事業も一つではなく、8つ立ち上げるつもりでした。

働く1日のすべてを変えようとした会社が、なぜ、まず営業という一つの仕事を選んだのでしょうか。

ナレッジワークと麻野耕司さんの歩みの年表(2003年〜2026年)

社長室から、営業の現場へ

麻野さんは2003年、組織と人のコンサルティングを手がけるリンクアンドモチベーションに新卒で入りました。

30歳のとき、社長室のマネジャーから、営業の担当に異動します。ほぼ初めての営業でした。自分でリストをつくって売り込み、後輩の新卒に同行してもらい、営業担当の役員に怒られる。苦労しながら、大きく成長できたと麻野さんは振り返っています。

「どういう時にプロダクトが売れて、どういう時に売れないのかがよく分かった」

そして、それまで社長室でIRやM&Aの担当として考えていたことが、いかに机上の空論だったかも分かった、と続けています。

2010年、当時最年少で執行役員に就きます。2016年に立ち上げたモチベーションクラウドは、2018年5月に年間の売上規模で10億円、2019年9月には20億円を超えました。

数字の裏には、営業の工夫がありました。訪問から受注に至る割合は7〜9%ほど。売上規模が20億円のころ、マーケティングに年8億円を使っていたので、受注率が1%上がれば業績はおよそ10%上がる。麻野さんは、そう試算していました。

ここで大事なのは、麻野さんにとって営業が、才能の問題ではなく、仕組みの問題になっていたことです。売れる人の頭の中にあるものを、資料という形で外に出せば、売れない人も売れるようになる。この確信を、麻野さんは前の会社で手に入れていました。のちに麻野さんは、営業を「属人性の世界」から「再現性のある世界」に変えなければ、会社の営業の生産性はいつまでたっても上がらない、とまで語るようになります。

外でやった方がいい

2019年末、麻野さんはおよそ17年勤めた会社の取締役を退きます。

仕事も、組織も、社員も好きだったと話しています。それでも外に出た理由を、麻野さんはこう語っています。

「これからやろうとするビジネスは外でやった方がいいと考えました」

前の会社では、一社一社の組織の課題に向き合い、社員のやる気を高める手伝いをしてきました。モチベーションクラウドは、6,000社近くで使われるまでになっていました。けれど社会を変えるには、もっと多くの人に一度に届くプロダクトが要る。そう考えたのです。

麻野さんは、このことを薬にたとえています。

「ペニシリンを発明すれば、広くあまねく世界に届けられる」

そして、仕事の分野でその「ペニシリン」をつくって世界を変えたい、と続けています。一社ずつ組織を診るのではなく、一度つくれば、会ったことのない人にも届くもの。麻野さんが次につくろうとしたのは、そういうソフトウェアでした。

2020年4月1日。新型コロナウイルスで、多くの会社が働き方の見直しを迫られていたさなかに、麻野さんは2つの会社を創業します。その6日後、政府は東京などに緊急事態宣言を出しました。人が会社に集まりにくくなり、隣の席の先輩に聞けば分かったことが、聞きにくくなる。ナレッジを人の頭の外に出す必要が高まった時期に、この会社は生まれたと私は見ています。

一つは、People Tech Studios。複数の事業会社を立ち上げる、スタジオ型の持株会社です。掲げたビジョンは「働く最高の1日を発明する」。資料づくり、会議、顧客訪問といった、出社から退社までの毎日の仕事を、ソフトウェアで支えるという構想でした。「プロダクトごとに事業会社を立ち上げ、将来的には8事業の立ち上げを見込んでいます」と、麻野さんは当時語っていました。創業のチームは7人。

もう一つが、その最初の事業会社、ナレッジワークです。手がけるのは、社内のナレッジの共有。経験やノウハウが一人ひとりの中に閉じている日本の会社の課題を、使いやすいツールで解こうとしました。

目指したのは大きな数字です。ソフトウェアの力で、日本の労働生産性を2倍にする。その入り口が、ナレッジでした。

麻野さんは、1日を睡眠、仕事、余暇の8時間ずつに分けて考えていました。起きている時間の半分を占める仕事の時間が、苦しいものではなく、楽しいものになれば、人の一生そのものが変わる。会社の構えの大きさは、この考え方から来ています。

つくる前に、売る資料をつくる

なぜ、ナレッジだったのか。

前の会社のモチベーションクラウドでは、およそ100の質問で組織の状態を診断していました。その中で、ナレッジの共有の点数は、ほぼすべての会社で低かった。うまくできていたのは、2社ほどだったといいます。日本の会社では、人が会社を移ることが少なかったので、「あのことは、あの人に聞けばいい」で回ってきた。だから、ナレッジを形にして残す習慣が育たなかった、と麻野さんは見ています。

では、ナレッジの共有を、誰から始めるのか。

ナレッジワークが選んだのは、営業の担当者でした。働く人の1割あまりは営業の仕事をしています。会社のこと、商品のこと、お客様のこと、競合のこと、お客様へのヒアリング、提案、そして契約の詰め。麻野さんは、営業の勝ち負けを分けるナレッジを、この7つにまとめています。営業ほど、売れる人と売れない人の差が、頭の中のナレッジの差として表れる仕事はありません。そして麻野さん自身が、その差を資料で埋めた経験を持っていました。

2020年10月、ナレッジワークは限られたお客様に向けて、先行して提供を始めます。

その進め方にも、前の会社での学びが生きています。2020年11月、麻野さんはスタートアップの経営者と営業責任者に向けた講義で、プロダクトが市場に受け入れられる前の営業の仕組みづくりこそが大事だと語っています。

「特にB2Bに関しては、まずは「売れる」ということが非常に重要です。」

実際、ナレッジワークはプロダクトを開発する前に、営業資料を何十種類も用意したといいます。売れると確かめてから、つくる。モチベーションクラウドのときも、正式に売り出す前に約40社に売っていました。

働く1日のすべてを変える構想は、捨てたわけではありません。ただ、その入り口を一つの職種に絞ったのです。

解約ゼロで、正式に出す

2022年4月、営業職向けの「ナレッジワーク」が正式に発売されました。営業資料や提案書を共有し、学びの仕組みや商談の管理で成果を後押しするソフトウェアです。同じ年の4月と6月には、シリーズAの資金調達も発表しています。

2023年の時点で、ベータ版のころから使ってきた会社は、一社も解約していないと伝えられています。

同じ2022年、麻野さんは営業についての本『NEW SALES』を出しました。属人的な営業から、再現性のある営業へ。プロダクトで実現しようとしていることを、本でも言葉にしたのです。

麻野さんは、この仕事の意味をこう語っています。

「昨日できなかったことが今日できるようになれば、仕事は楽しくなる。」

前の会社で、ひとりしか売れなかった営業の組織。その組織を、資料で変えた経験。ナレッジワークは、その一つの経験を、ほかの会社でも繰り返せる形にしたプロダクトだといえます。

8つの事業は、10のプロダクトに

2023年11月、ナレッジワークは45億円を調達します。これまでの調達額は、合わせて61.2億円になりました。

このとき、会社は新しい言葉を使います。3年で、新しいプロダクトを10個出す。営業向けのナレッジに加えて、学びや日々の仕事の領域にも広げる。いくつものプロダクトを一つの会社で組み合わせて育てる「コンパウンドスタートアップ」を目指すと報じられました。

ここで、創業のときの構想を思い出してください。スタジオの下に、8つの事業会社を並べる。2023年の計画は、一つの会社の中に、10のプロダクトを並べる。数は増えています。けれど、並べ方が変わりました。

創業時の「8つの事業会社」の構想と、2023年の「10のプロダクト」の計画の比較

2024年4月には日々の営業の仕事を支える領域、7月には学びの領域で、新しいプロダクトを出す予定も示しました。

別々の会社として8つの事業を育てるのではなく、営業というお客様の仕事を軸に、プロダクトを一つの会社の中で重ねていく。まず一つに絞り、そこで足場をつくってから広げる。創業から3年半で、会社の広がり方そのものが変わったのです。

麻野さんは、このときもこう語っています。

「働くことは『苦しい』ことではなく『楽しい』ことだと感じられれば、人生はもっと豊かになります。」

払ったもの、続けたもの

広げる道は、自前で作るだけではありませんでした。

2025年5月、ナレッジワークは商談解析AI「JamRoll」を提供するPoeticsの全株式を取得してグループ会社にし、6月30日付で吸収合併しました。ナレッジワークが受け持ってきたのは商談の前の準備で、JamRollは商談の後の書き起こしや記録を支えるサービスです。合わせれば、商談の前から後までを一つの流れで支えられる。会社はそう説明しています。

別の会社を買い、組織を一つにする。手間も、お金もかかる判断です。2020年に「スタジオの下に事業会社を並べる」と考えていた会社が、今度は外の会社を自分の中に取り込みました。ここにも、別々に並べるより一つに重ねる、という考え方の変化が見えます。

思えば麻野さんは、30歳で営業に移るまで、社長室でIRやM&Aを担当していた人でした。そのころ考えていたことを、のちに「机上の空論」と振り返っています。営業の現場を知ったあとで、もう一度、会社を買う側に立った。今度の理由は、商談の前と後をつなぐという、現場から出てきたものでした。

そして2026年8月4日、ナレッジワークはシリーズCの第1弾として35億円を調達し、会社ごとの営業の戦略やデータをAIエージェントが使う基盤「セールスAIエージェントOS」の提供を始めました。ナレッジワークの導入先には、NTTドコモビジネス、みずほ銀行、日清食品など、大手企業が並びます。

「生成AIの登場に伴い、私たちが実現できるイネーブルメントは飛躍的に進化しています。」

麻野さんは、そう語っています。2016年、ひとりしか売れなかった組織を、麻野さんは資料で変えました。10年後、その資料の役目を、AIが引き受けようとしています。売れる人の頭の中にあるものを外に出し、売れない人に渡す。道具は資料からソフトウェアへ、ソフトウェアからAIへと変わりました。けれど、やろうとしていることは、2016年からほとんど変わっていないのです。

社史の目で見ると

働く1日のすべてを変えようとした会社が、なぜ、まず営業という一つの仕事を選んだのか。

私の見方は、こうです。麻野さんは、自分が本当に解いたことのある問題から始めました。働く1日のすべては、まだ誰も解いていない問題です。けれど、売れる人のナレッジを資料にして、売れない人を売れるようにすることは、麻野さんが前の会社で一度解いた問題でした。大きな構想は掲げたまま、手を動かす場所は、自分の経験がいちばん深いところに置いた。それが、2023年までに61.2億円、2026年にさらに35億円を集める会社の出発点になったのだと思います。

この会社の社史に残すべき場面は、三つあると考えます。

一つめは、モチベーションクラウドで、ひとりしか売れなかった時期です。これは、ナレッジワークという会社の前の話です。けれど、この会社がなぜ営業から始めたのかは、この時期を書かなければ説明できません。社史は、会社が生まれた日から書き始めるものだと思われがちです。実際には、創業者が前に何を見たのかが、会社の形を決めていることが少なくありません。

二つめは、2020年4月1日の構想です。8つの事業会社、働く最高の1日。いまの会社の姿と並べると、違いが目立ちます。だからこそ残す価値があります。構想と実際のずれは、失敗の記録ではなく、会社が何を学んで向きを決めたのかの記録です。

三つめは、プロダクトより先に営業資料をつくった日々です。何十種類もの資料を手に、まだ形のないものを売りに行く。その手触りは、会社が大きくなるほど語られなくなります。次に新しいプロダクトを立ち上げる社員にとって、何よりの手がかりになるはずです。

ひとりしか売れなかった営業の組織から、すべての始まりがありました。

あなたの会社の「そのとき」は、いつでしたか。

会社の歩みを、その理由まで読めるかたちで残しておきたい方は、KATARUの読みもの(https://kataruai.com/shiryo/)もあわせてご覧ください。

参考にした公開情報

連載「そのとき、会社が動いた。」は、公開情報で読む、あの会社の社史です。

※この記事は公開情報をもとにKATARUが独自にまとめたもので、株式会社ナレッジワークとKATARUの間に関係はありません。

この記事は、noteの連載「そのとき、会社が動いた。」にも掲載しています(noteで読む)。

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公開日:2026年10月17日 KATARU(運営 ミダスマーケティング)