2007年、東京・下北沢。新しいニュースサイトの始まりを祝うパーティで、小さな会社の社長があいさつに立ちました。
「我が社はあと2カ月で資金が完全に尽きます」
会場は笑いに包まれるはずでした。ところが、社員は本気にして青ざめたといいます。冗談の半分は、本当だったからです。
その会社の名前はナターシャ。2月に始めたばかりの音楽ニュースサイト「ナタリー」を運営していました。いまでは、音楽、マンガ、お笑い、映画、舞台の5つのジャンルでニュースを届け、ライブやグッズまで手がける会社です。
この会社は、創業のころ、ベンチャーキャピタルの出資を受けませんでした。理由は、メディアの方針に口を出されたくないから。お金に困っていても、自分たちのやり方は手放さない会社でした。
ところが2014年8月、ナターシャは通信大手KDDIの連結子会社になります。株式の9割を渡したのです。
外の資本を入れなかった会社が、なぜ大企業のグループに入ったのか。その答えは、社員が3人から70人を超えるまでの8年間にあります。
- 2005年12月 有限会社ナターシャを設立
- 2006年2月 下北沢のアパートの一室で、3人で業務を始める
- 2007年2月 音楽ニュースサイト「ナタリー」を始める
- 2007年7月ごろ DeNAへのニュース配信が始まる
- 2008年12月 「コミックナタリー」を始める
- 2009年8月 「お笑いナタリー」を始める
- 2014年8月 KDDIの連結子会社になる
- 2015年3月 「映画ナタリー」を始める
- 2017年2月 10周年。大山卓也が社長を退き、会長に

一人では作れないメディア
ナターシャを起こした大山卓也は、もともと雑誌の編集者でした。札幌に生まれ、北海道大学を出て、メディアワークス(いまのKADOKAWA)で7年ほど、雑誌やウェブの編集に携わります。2001年には、勤めながら個人で音楽ニュースのサイトを始めていました。
会社を辞めてフリーになり、1年ほどたったころ、大山は一人の限界を感じます。人の記事を引いてくる二次情報ではなく、自分たちで取材した一次情報を出したい。そのためには、記者を抱える会社が要りました。
資本金には、前の会社の退職金を充てました。サイトの開発には1年ほどかかり、2007年2月、「ナタリー」が始まります。ブランドの名前は合宿で決め、会社の名前はあえて別の「ナターシャ」にしました。
ナタリーには、はっきりした決まりがありました。アーティストや漫画家、芸人を尊敬する。彼らが嫌がることや、ゴシップは載せない。大山は、こう語っています。
「僕らは、アーティスト、漫画家、芸人を尊敬しています」
裏を返せば、人目を引く記事で数字を稼ぐ道を、最初から閉じていたということです。速く、偏りなく、ファンの目で。その代わりに選んだのは、とにかく量を出すことでした。記者はすべて社内で、外部のライターは使いません。2009年には、記事の数は競合のサイトの3倍ほどになっていました。
速く、フラットに、ファンの目で。ナタリーの代名詞になったこの三つを、大山は「僕たちはフラットな、無機質なメディアなんです」とも言い表しています。評価や好みを記事に混ぜない。大きなアーティストも小さなアーティストも、同じ調子で、とにかく全部載せる。大山の言葉では、ポリシーは「何でもかんでもやる」ことでした。
記者の育て方も独特でした。ライターの経験がない人を採り、書き方を一から教える。経験はなくても、好きなことに熱い人のほうが伸びると考えたのです。社員は全員、朝10時に出社しました。昼のテレビ番組が始まる前には記事を出したい、というのが合言葉でした。
手取り8万円の2年
決まりを守る代わりに、お金は残りません。
最初の収入は、アフィリエイトとグーグルの広告だけです。会社を立ち上げて2年たっても、大山の給料は手取りで8万円しかなく、日々、自分の貯えを崩していたといいます。一番苦しい時期には、仲間に「面白くないし、もう辞めちゃおうか?」と持ちかけたこともありました。
始める前は、いいものを作れば結果はついてくると考えていたといいます。ところが、いい記事を出しても、お金にはなりませんでした。アクセスの割に、驚くほど儲からない。同じころ、コミックナタリーの編集長は、ニュースサイトを「スマートさの欠片もない商売」と笑っています。
それでも、稼ぎ方は選びました。パチンコ店とのタイアップ広告のような、ナタリーの読者に合わない広告は入れない。大山は「下品なことをするくらいなら貧乏してもいい」とまで語っています。
それでも、ここでも大山は、ベンチャーキャピタルの出資を受けていません。売上の桁が一つ足りない、音楽のメディアには限界がある。そう言われたこともあったといいます。それでも受けなかった理由を、大山ははっきり語っています。
「メディアとしての方針に口を出されるのが嫌だからです」
食いつなぐために、年賀状のイラスト集の編集や、編集プロダクションの請け負い仕事もしました。何度も倒産の危機をくぐったと、大山は振り返っています。
流れが変わったのは、ニュースそのものを売ることに気づいたときでした。IT企業に売り込みをかけ、2007年7月ごろから、DeNAが運営する携帯サイトに記事を配信できるようになります。読まれて広告で稼ぐのではなく、記事を必要とする先に、記事を卸す。大山は、そのときの手応えを「自分たちがやっていることにお金を出してくれるところもあるんだ」と表しています。
私の見方では、ここでナタリーの形が一つ決まりました。目指したのは、記事で目立つ雑誌ではなく、ほかのメディアに記事を届ける「通信社」です。大山は、ナタリーを「ポップカルチャーの通信社」にしたいと語っていました。
山を一つから、いくつにも
2008年7月には、ようやく経営陣にも給料が出るようになります。8月には社員が16人に増え、手狭になった部屋から引っ越しました。
ベンチャーキャピタルに言われた「音楽には限界がある」という指摘には、大山も一部うなずいていました。そこで2008年12月、マンガの「コミックナタリー」を始めます。始めて半年で、月に300万近いページビューを集めました。2009年8月には「お笑いナタリー」が続きます。
当時のコミックナタリーの編集長は、その狙いを、音楽の山一つだけでなく、ほかの山にも広げることだと話しています。一つのジャンルで磨いた取材と記事の型を、別のジャンルにも当てはめていく。ナタリーは、こうして横に広がっていきました。
届け方も、新しいものを次々に試しました。2007年5月には、国内のニュースサイトとしては早くTwitterに見出しを流し始めます。10月には、iPhoneとiPod touchで読むためのサイトも開いています。記事を待ってもらうのではなく、読者がいる場所へ記事を持っていく。通信社を目指す会社らしい動き方です。
2011年3月の東日本大震災では、ライブやイベントが次々に中止や延期になる中、チャリティの催しを伝える記事に注目が集まりました。同じ年の秋に公開された映画「モテキ」では、物語の舞台に音楽ナタリーの編集部が登場します。下北沢の小さな会社は、いつのまにか、ポップカルチャーの真ん中にいました。
2012年8月には、ウェブのお店「ナタリーストア」を開き、アーティストやマンガと組んだグッズを売り始めます。記事を配るだけでなく、ファンが手に取るものまで届ける。収入の柱を、少しずつ増やしていきました。
2009年には、常勤の社員が21人、記事は月に1,200本、月間のページビューは1,000万に届いていました。読まれ方は、携帯電話とパソコンがちょうど半分ずつでした。2014年には月間3,100万ページビュー、660万人が訪れるサイトになります。

数字が増えるほど、別の問題が大きくなっていきます。人です。
2009年、コミックナタリーの編集長だった唐木元は、自分たちの商売をこう語っていました。
「僕らがやっているのは、大資本が絡まない、いわば子どものビジネス。」
下北沢には、そういうことをやってきた先輩たちがいる。唐木は、だからこの街にいるのだとも話しています。大きなお金に頼らず、好きなことを、自分たちの手で続ける。その気風が、創業のころのナタリーそのものでした。そのわずか5年後に、会社は大きな資本の下に入ることになります。
70人の会社が、方法を持っていなかった
社員が70人、80人になったころ、大山は一つのことに気づきます。
「組織を回していく方法論みたいなものが、自分たちには欠けてる」
ナタリーは、雑誌の編集者だった大山と、好きなことを書く記者たちでつくってきた会社です。大山自身、10年を振り返って「やってたら10年経っちゃいました」と話すほど、目の前の記事に追われて走ってきました。記事の書き方は磨いてきました。けれども、80人の会社を回すやり方は、まだ誰も持っていなかったのです。しかも、次に始めたい映画のサイトには、まとまった元手が要ります。
2014年8月21日、KDDIはナターシャの株式の90%を取得し、連結子会社にしました。残りの10%は経営陣が持ち、大山はそのまま社長を続けます。
ここが、ナタリーの「そのとき」です。
ただし、グループに入るにあたって、一つの約束がありました。編集の方針には口を出さない、という約束です。創業のころにベンチャーキャピタルの出資を受けなかった理由と、同じところを守ったのです。
私は、ここに大山の判断の芯があると考えます。守りたかったのは、会社の株ではなく、編集の自由でした。株は手放しても、方針は手放さない。だからこそ、口を出さない約束をしてくれる相手を選んだのです。大山は、のちに「KDDIのグループ会社っていう道を選んで、結果よかったと思いますね」と振り返っています。
同じ2014年8月、大山は初めての本を出しています。ナタリーについて、外に向けて初めて語った本です。翌2015年には、元編集長の唐木元が、文章の書き方の本を出しました。会社が大きな資本の下に入るのと同じころ、自分たちのやり方を言葉にして残し始めたのです。私は、この順番に意味があると考えます。やり方を書き出しておけば、人が入れ替わっても、決まりは残ります。
その後と、払ったもの
グループに入った翌年の2015年3月、「映画ナタリー」が始まります。2016年2月には、舞台と演劇の「ステージナタリー」が続きました。2017年2月、ナタリーは10周年を迎えます。この10年で出した記事は20万本を超え、社員は100人近くになっていました。
その10周年の日、大山は社長を退き、会長になりました。理由を、こう語っています。
「代替わりしながら、新しい血が入ってくる方が健全だと思っていて」
編集長たちとも、一人ひとりの社員とも、「ナタリーはこうあるべきだ」という考えを共有できた。だから、ここで渡す。創業者が自分から社長の席を降りた背景には、10年かけて決まりを社内に根づかせたという手応えがありました。
大山が会長に退いたあと、会社はそれまで言葉にしてこなかったものを形にしていきます。2018年1月にはライブの事業「ライブナタリー」を始め、2019年10月には企業理念を定めました。創業者の頭の中にあった決まりを、会社の言葉に置き換えたのです。2021年1月には、オンラインの催し「マツリー」も開いています。記事の外でも、ファンとアーティストをつなぐ場を広げていきました。
一方で、払ったものもあります。創業期の大山は、手取り8万円の給料で、貯えを崩しながら働きました。始めたサイトのすべてが続いたわけでもありません。2011年に始めたおやつのニュースサイトは、3か月で終えています。そして2014年には、会社の9割を手放しました。
それでも、守ったものははっきりしています。2024年4月の時点で、ナターシャの社員は116人。ニュースのジャンルは5つに広がり、2018年からはライブの事業も手がけています。アーティストを尊敬し、嫌がることは載せない。その最初の決まりの上に、会社が積み重なってきました。
社史の目で見ると
出資を受けなかったナタリーは、なぜKDDIのグループに入ったのか。
私は、ナタリーが守ろうとしていたものが、最初から最後まで変わらなかったからだと考えます。守りたかったのは株ではなく、何を載せ、何を載せないかを自分たちで決める自由でした。創業のころは、その自由を守るために出資を受けなかった。会社が大きくなってからは、その自由を守ったまま続けるために、約束を交わして大きな会社に入った。外から見ると正反対の判断ですが、物差しは同じです。
10周年の特設ページで、大山は「どんなに素晴らしい芸術も、それを求める人のもとに届かなければ意味はない。」と書いています。届けることが仕事なら、届け続けられる形を選ぶのも仕事のうちです。KDDIに入ったことも、その延長にあったと私は考えます。
社史に残すなら、次の三つの場面だと考えます。
一つ目は、「あと2カ月で資金が尽きます」と言ったパーティの夜です。冗談に聞こえたあいさつが、実は本当だった。その夜を、社員たちはどう覚えているのでしょうか。
二つ目は、初めて記事が売れた2007年の夏です。読まれる記事ではなく、買ってもらえる記事になった。この手応えが、「通信社」という会社の形を決めました。
三つ目は、KDDIとの約束を交わした日です。何を守り、何を手放すのか。株の割合は発表に残ります。けれども、その場でどんな言葉が交わされ、なぜこの相手を選んだのかは、当事者が語らなければ残りません。
もう一つ付け加えるなら、創業者が退いたあとに理念を言葉にした2019年の作業です。10年以上、記事の積み重ねと社員の頭の中にあった決まりを、誰が、どんな話し合いで言葉に置き換えたのか。そこには、創業者のいない会社が自分たちの芯を確かめ直した跡が残っているはずです。頭の中にある決まりは、書き留めたときに初めて、次に入ってくる人にも渡せるものになります。
あなたの会社が、どんなときも手放さなかったものは何ですか。
会社の歩みを、その理由まで読めるかたちで残しておきたい方は、KATARUの読みもの(https://kataruai.com/shiryo/)もあわせてご覧ください。
参考にした公開情報
- 株式会社ナターシャ「ナターシャについて」(会社概要・沿革)https://www.natasha.co.jp/company.html
- ナタリー「ナタリー10周年」(2017年2月)https://natalie.mu/10th/
- INTERNET Watch「ポップカルチャーの通信社を目指す ナターシャ 大山卓也社長(後編)」(2009年9月29日)https://internet.watch.impress.co.jp/docs/column/president/317463.html
- 下北沢経済新聞「人気急上昇の音楽・マンガのニュースサイト『ナタリー』『コミックナタリー』」(2009年3月6日)https://shimokita.keizai.biz/column/7
- CINRA「大山卓也が語る、ナタリー創業から社長退任までの10年間」(2017年)https://www.cinra.net/article/interview-gyoukairetsuden-vol3-ohyamatakuya
- INTERNET Watch「KDDIが『ナタリー』運営元企業の株式90%を取得、連結子会社に」(2014年8月22日)https://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/663214.html
- KAI-YOU「ナタリーが新たに『映画ナタリー』開設」(2015年3月23日)https://kai-you.net/article/14743
連載「そのとき、会社が動いた。」は、公開情報で読む、あの会社の社史です。
※この記事は公開情報をもとにKATARUが独自にまとめたもので、株式会社ナターシャとKATARUの間に関係はありません。
この記事は、noteの連載「そのとき、会社が動いた。」にも掲載しています(noteで読む)。
公開日:2026年10月24日 KATARU(運営 ミダスマーケティング)