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そのとき、会社が動いた。

製造ほぼゼロからの再出発

土屋鞄製造所が父の腕を売るまで

土屋鞄製造所の転機を、公開情報からたどります。

1994年、カナダ。魚介の卸とレストランの会社で働いていた20代の男性のもとに、東京の母から電話がかかってきました。

「お父さんを手伝ってあげてほしい」

父は、東京・足立区で小さなランドセルの工房を営む職人でした。けれどもその年、工房でつくったランドセルの数は、ほぼゼロ。仕事がなくなって困っている、という知らせです。

男性の名は土屋成範。帰国して家業に入った翌年、1995年に工房が売ったランドセルは200個です。それが2020年には、年に7万2,200個になります。子どもの数が減り続けた25年のあいだに、です。

ランドセルの注文が消えた工房は、なぜ子どもが減る国で売る数を増やせたのか。その答えは、息子が工房を立て直すために選んだ、ひとつの売り物にあります。

11坪の工房と、消えた注文

土屋國男は1938年、岐阜県に生まれました。15歳で上京し、学生鞄とランドセルをつくる会社に入ります。12年の修行のあと、1965年、27歳で独立しました。始めたのは、自宅の中の11坪の作業場です。

國男は、目指したものをこう語っています。

「10本作ったら10人が満足するようなランドセル。日本で一番良いランドセルを作りたいと思ってやってきました」

工房は、百貨店などに納めるランドセルをつくる下請けとして歩み始めます。工房の棚に並べたランドセルが、近所の口コミで売れていくこともありました。

追い風もありました。創業してまもなく、1971年から74年の第2次ベビーブームが来ます。子どもの数が多い時代、ランドセルはつくれば売れる品でした。

ところが、風向きは変わります。生まれる子どもの数は、およそ20年で半分になりました。そこへ、安い海外製のランドセルが入ってきます。百貨店に納める仕事は細っていき、1994年、工房の製造数はほぼゼロになりました。一時は倒産の寸前まで追い込まれた、と報じられています。

家の中も苦しくなっていました。母は訪問販売の仕事で家計を支えます。父は子どものころの成範に、こう言っていたといいます。

「お前はこんな仕事をやらないほうがいい」

腕一本で工房を開いた職人が、息子には継ぐなと言っていたのです。

「おやじの存在を売り出すしかない」

劇画調の漫画の3コマ。町の鞄店で店主と話す若い男性、ランドセルの革を縫う職人の手、工房の窓辺で前を見すえる男性「生き残るにはおやじの存在を売り出すしかない」

成範は19歳から海外を渡り歩き、輸入や営業の仕事をしながら、商売を独学で身につけてきました。母の電話を受けて帰国したのは、24歳のときです。

入社した成範は、全国の鞄の店を回りました。そこで二つのことを知ります。

一つは、父の腕が高く評価されていることでした。縫い目にゆがみがない。角の革を放射状に重ねる「菊寄せ」まで手を抜かない。取引先からは、父の腕がとても良いという声が届きました。

もう一つは、海外製というだけで、品質の劣る鞄が売れていることでした。

裏を返せば、売れないのは父の腕のせいではありません。成範は、苦境の原因を、市場の変化と、売る力が足りないことにあると考えました。

ここが、土屋鞄製造所の「そのとき」です。成範は、父という職人そのものを前に出すと決めました。そのときの考えは、こう伝えられています。

「これからは商品の物語性が重要だ。生き残るにはおやじの存在を売り出すしかない」

百貨店に納める下請けから、自分たちでつくって自分たちで売る「製造直販」へ。売り物は、ランドセルであり、それをつくる父でした。

やり方は地道でした。人気のカタログ通販の売り方を手本にし、公民館で説明会を開き、工場の見学会を重ねます。分業と量産が進む業界で、一つのランドセルを最後まで手でつくっていることを、買う人に直接伝えていきました。

看板にしたのは、つや消しのランドセルです。かつて主流だったのは、光沢のあるランドセルでした。そこにあえて、落ち着いた質感の品を据えたのです。使い終えたランドセルを、飾っておける小さなランドセルにつくり直すサービスも始めました。

人も呼び戻しました。仕事を失い、誇りを失いかけていた父の後輩の職人たちに、入社してもらったのです。

届くようになった声

劇画調の漫画の2コマ。公民館で親子にランドセルを見せて説明する男性、工房で静かに笑う年配の職人「この仕事をしていてよかった」

1990年代の後半、工房はネットでの販売にも乗り出します。楽天市場などでの通販に、早くから取り組みました。

客と直接つながると、変わったことがあります。ランドセルを受け取った家族の喜ぶ声が、工房まで届くようになったのです。

成範が家業に入ったころ、父はランドセルづくりを「やるものではない」と話していたと報じられています。直販を始めて客の声が届くようになると、その父が「この仕事をしていてよかった」と語ったといいます。

國男は、小さな工房を選んでくれた客のことを、こう振り返っています。

「私たちは、本当に小さな店です。大手を見てから戻って買いに来てくださるのは、大きな喜びでした」

つまり、直販は売り方を変えただけではありませんでした。客の声が、職人の手元に返ってくる道をつくったのです。

数字も動きます。1995年に200個だった年間の販売数は、2000年には8,000個になりました。5年で40倍です。

ランドセルの外へ

2000年、工房は、ランドセルで身につけた技術を生かして、大人向けの鞄をつくり始めます。若手の職人を雇い始めて組織が大きくなる一方で、国内の子どもは減り続けていました。当時専務だった成範のもとで、バッグを中心に、毎日使う革製品へと手を広げていきます。

國男の仕事も、人を育てる方へ移っていきます。2002年から、若手の職人の採用が始まりました。國男は、その理由をこう語っています。

「僕は親方や先輩をはじめ、会社の皆と取引先、そしてお客さまと、人に恵まれてここまでやって来られた。だから、人を育てることで恩返しをしていきたい」

2004年には、自社の通販サイトを立ち上げました。サイトを運営する部署を社内に置き、革の手入れの仕方や職人へのインタビューといった読み物を載せていきます。担当者は、そのねらいを「お客様に製品やものづくりの魅力を直接発信できる場が欲しかった」と話しています。

2015年、創業50年の年に、大人が仕事で使う鞄「OTONA RANDSEL」を出しました。

翌2016年の7月1日、次の春に入学する子どものランドセルの注文を受け付け始めると、通販サイトにアクセスが押し寄せます。会社は、前の年の8倍のアクセスを見込んで、サーバーを強くしていました。ところが実際に来たのは、20倍でした。12時間で、およそ350万のアクセスです。

このころの社員はおよそ180人。2022年には約650人、2026年3月には850人になっています。11坪の作業場で、一人で始めた工房でした。

払ったもの

ここまでの道のりで、引き受けた重さもあります。

一つは、市場そのものが縮み続けていることです。かつて年に200万人いた子どもの出生数は、2024年には70万人を割ると見込まれていました。成範自身、「ランドセルも成長市場とは言えません。」と語っています。大人向けの鞄や海外の店は、その先を見すえた手です。

もう一つは、手でつくることの限りです。ランドセルは150を超える部品を、300を超える工程で組み立てます。数を急に増やすことはできません。2015年に売り出したランドセルは、9月の中ごろに売り切れています。買いたくても買えない家族が出る、ということでもあります。

成範は、海外で店を広げるときの迷いも口にしています。

「創業者の父自身が鞄職人である、という点は間違いなくコアだと思います。」

そう言いながらも、海外ではその「らしさ」をそのまま前に出すのがよいとは限らない、と話していました。2019年のことです。父の腕を売り物にしてきた会社が、その伝え方を国の外で探し始めていました。

社史の目で見ると

ランドセルの注文が消えた工房は、なぜ子どもが減る国で売る数を増やせたのか。

私は、土屋鞄製造所が「ランドセルを売る前に、それをつくる父を売った」からだと考えます。下請けの工房だったころ、父の腕のよさを知っていたのは取引先でした。成範は、腕のいい職人がいることそのものを、買う人に直接見せる道を選びました。ランドセルは6年使う品です。誰がどうつくったかを知って選べることが、家族の決め手になっていったのだと思います。

社史に残すなら、次の三つの場面だと考えます。

一つ目は、1994年の母からの電話です。母は、どんな思いで遠い国の息子に電話をかけたのか。家業が苦しいことを、それまで息子にどう話してきたのか。家族の会話は、会社の記録にはまず残りません。

二つ目は、父の口から「この仕事をしていてよかった」という言葉が出た日です。その言葉を、父は誰に、どんな場面で口にしたのか。最初に届いた客の声は、どんなものだったのか。

三つ目は、2002年に若手の職人を迎えた日です。息子には継ぐなと言っていた職人が、若い職人たちに技を教え始める。そのとき國男が最初に教えたことは何だったのか。それは、当事者が語らなければ残りません。

あなたの会社でいちばんの売り物は、商品ですか。それとも、それをつくる人ですか。

会社の歩みを、その理由まで読めるかたちで残しておきたい方は、KATARUの読みもの(https://kataruai.com/shiryo/)もあわせてご覧ください。

参考にした公開情報

連載「そのとき、会社が動いた。」は、公開情報で読む、あの会社の社史です。

※この記事は公開情報をもとにKATARUが独自にまとめたもので、株式会社土屋鞄製造所とKATARUの間に関係はありません。

この記事は、noteの連載「そのとき、会社が動いた。」にも掲載しています(noteで読む)。

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公開日:2026年10月28日 KATARU(運営 ミダスマーケティング)