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そのとき、会社が動いた。

電話の会社が「重さ」をはかった日

アンリツが食品工場に入るまで

アンリツの転機を、公開情報からたどります。

1964年。東京でオリンピックが開かれた年に、ひとつの「はかり」が生まれました。

名前は、オートチェッカ K501A。ベルトの上を流れてくる品物を一つずつ量り、重さで選り分ける機械です。作ったのは、はかりの会社ではありません。モールス信号の印字機から始まり、公衆電話と無線の測定器を作ってきた、通信機の会社でした。そしてこの1号機が納められた先は、食品工場ではなく、薬の会社でした。

その会社の名前は、アンリツといいます。いまは携帯電話や通信網を試験する計測器の会社として知られています。けれど、この会社にはもう一つの顔があります。食品や薬の工場で、流れてくる品物の重さを量り、金属や骨のかけらが混じっていないかを確かめる検査機の会社という顔です。国内の市場については、アンリツとイシダの2社で「市場の大半を占めています」と、会社自身が書いています。

電話と無線の会社が、なぜ工場の検査で国内の大半を占めるところまで来たのでしょうか。今回は、1964年から食品工場に入っていくまでをたどります。

アンリツの検査機事業で、はかる対象が広がった年表

通信機の会社が持っていたもの

アンリツの始まりは、明治の半ばにさかのぼります。1895年、前身の石杉社が創業し、モールス印字機などを作りました。1908年には合併して共立電機電線となり、電話機の量産に乗り出します。そして1931年、共立電機と安中電機製作所が合併し、安立電気が生まれました。安中の「安」と、共立の「立」。二つの名前が、一つの社名に並んでいます。1985年に社名をアンリツに改めるまで、半世紀以上この名前で通っています。

戦後も、軸は通信でした。1950年には超短波の電界強度測定器を完成させ、1953年には料金後納式の4号式公衆電話機の量産を始めています。電話をつくる。電波をはかる。この二つが、会社の背骨だったのです。

では、通信の会社が、なぜ工場に目を向けたのでしょうか。

手がかりは、1961年に厚木に新しい事業所を設けた年にあります。この年、アンリツは「電子マイクロメータ」を開発しました。差動トランスという仕組みを使って、ごくわずかな長さの変化を電気で読み取る測定器です。翌1962年には、工業用の計測機器として製造を始めています。

会社の沿革は、これを「工業用計測機器」と呼んでいます。電話でも無線でもない。工場で使う、はかる道具でした。ここで大事なのは、会社が自分の技術を、電話や電波ではなく「わずかな違いを電気で読む力」として使い直し始めたことです。そう捉え直せば、使い道は工場の中にも広がっていきます。

そして3年後、その力は、長さではなく重さに向けられました。

1964年、1号機は薬の工場へ

1964年、アンリツは自動重量選別機「オートチェッカ」の製造を始めます。会社は、電子マイクロメータの技術を発展させて開発した、と説明しています。

1号機の型番は K501A です。会社の医薬品向けの年表は、この機械を電子マイクロメータをもとに自社で開発したはかりと説明し、「オートチェッカの1号機が納められたのも医薬品メーカでした」と記しています。広く売り出したのは、翌1965年のことです。

なぜ、最初が薬だったのか。その理由を語った当事者の言葉は、公開されている資料には見当たりません。わかっているのは、行き先が薬の会社だったという事実だけです。ただ、その後の歩みは、この始まりが偶然の一度きりではなかったことを示しています。

1970年には、カプセル用のオートチェッカ K515 を開発しました。小さなはかりを5つ並べ、2ミリグラムの精度で、1分間に600個を選り分ける機械です。1グラムの500分の1。その差で、カプセル一つひとつを見分けていたことになります。

この時期のアンリツは、通信だけに頼らない会社を目指していました。1963年から1974年までを、会社は「6事業部体制で事業多角化を推進」した時代と振り返っています。1968年には東京証券取引所の市場第1部に上場しました。重量選別機は、その多角化の中で生まれた事業の一つです。

重さを量る技術は、選り分けるだけでなく、量って詰める側にも向かいました。1969年、アンリツは重量選別機の電子計量の技術を応用して、自動電子計量機を開発しています。量って、はじく。量って、そろえる。同じ技術が、ラインの前と後ろの両方に入っていったのです。

ただ、この時点ではまだ、食品工場が主な行き先ではありません。

1975年、食品工場へ

転機は1975年に訪れます。この年、アンリツの中に産業機械事業部が生まれました。会社の検査機事業の歴史紹介は、この年を「食品製造業向け検査機器を専門に扱う事業体制を構築」した年と記しています。

1号機から11年。薬の工場で育った重さの技術が、食品工場へと本格的に向かいます。

食品の工場は、薬の工場とは景色が違います。のちに会社が主な顧客として挙げるのは、ハム、菓子、水産品の大手グループです。流れる品物は形も大きさもばらばら。くっつきやすいものもあれば、立てて流すものもあります。

そして、重さを量るだけでは足りない時代が来ます。

1981年、アンリツは磁気センサの技術を使った金属検出機 K470 を開発しました。製品の中に金属のかけらが混じっていないかを、ラインの上で見つける機械です。重さの検査に、異物の検査が加わりました。

これは、検査機が見るものの意味が変わったということでもあります。重さは「正しく入っているか」を確かめるものでした。金属は「入ってはいけないものが入っていないか」を確かめるものです。前者は作り手の約束を守るための検査、後者は食べる人の体を守るための検査。同じラインの上で、検査機の役目が一つ増えたのです。

そこから先は、現場ごとの悩みに機械を合わせていく時間でした。1989年には自社開発のはかりで、1分間に400個を、プラスマイナス0.02グラムの精度で量れるようにしています。1991年には、金属検出機の設定を自動で行う機能を世界で初めて載せました。1994年には、くっつきやすい食品も量れる自動電子計量機「クリーンカップスケール」を開発しています。インスタントラーメン用、立てて流す品物向けと、用途ごとの重量選別機も増えていきました。

1999年、アンリツの開発者たちは、重量選別機の技術報告の冒頭にこう書いています。

「昭和39年よりスタートして35年になる」

そのうえで、この機械が「食品を初め,薬品,化学および電子部品から精密機械部品まで幅広い業界で」使われてきたと続けました。35年前に薬の工場から出発した機械は、この時点で食品を筆頭に挙げるまでになっていたのです。

同じ報告書は、もう一つの変化にも触れています。腸管出血性大腸菌O-157などによる食中毒事件をきっかけに、食品の工場では、衛生管理の手法であるHACCPの構築が強く求められるようになった、と。工場で品物を「全数」確かめることの重みが、社会の側で増していきました。

英国製のX線では、足りなかった

金属検出機は、金属しか見つけられません。

ところが、食品に混じるものは金属だけではありません。ガラス、石、骨。国民生活センターの危害情報システムには、1990年4月から1997年1月までに「異物混入」の苦情が1,491件寄せられ、そのうち171件が体への危害を伴うものでした。9件に1件ほどは、口にした人がけがをしていたことになります。工場の側から見れば、金属検出機だけでは守りきれない穴が、数字になって表れていたのです。

金属以外のものも見つけたい。お客様のその求めに応えるため、アンリツは1995年、英国製のX線異物検出機を売り始めました。自社で作るのではなく、海外の製品を扱う道です。

ところが、これがうまくいきませんでした。

2002年の技術報告で、開発者たちは自分たちの仕事をこう書き出しています。

「我々は,食品や薬品等に混入した異物を生産ラインで検知し,排除する装置を二十数年間開発してきた。」

そして、英国製の機械は、機能と性能の面でお客様の求めを満たせなかったと続けています。

数字を並べると、壁の高さがわかります。当時のX線異物検出機は、市場価格が1,000万円を超え、機械の長さは2,100ミリありました。一方、すでに工場に入っていた金属検出機は、100万〜200万円で、長さは0.5〜1メートルほど。X線の機械は、値段で金属検出機の5倍以上、長さで2倍以上だったのです。ラインに新しく置くには、高すぎて、長すぎました。

従来のX線異物検出機と、自社開発機の開発目標の価格と長さの比較

そこでアンリツは、自分たちで作ることを選びます。目標は、価格をおよそ600万円に、長さを800ミリに抑えること。X線の漏れは、1時間あたり1マイクロシーベルト以下にすること。そして、検出の感度を上げること。

2000年6月、自社開発のX線異物検出機 KD7203AW の販売が始まりました。会社はいま、この機械について、大きく高価だったX線検査機を「小型で半分近い価格にした」ことで普及を進めた、と振り返っています。

英国製の機械を扱った時期は、遠回りに見えます。けれど、価格は1,000万円超から600万円へ、長さは2,100ミリから800ミリへ。開発の目標は、比べる相手があったからこそ、ここまではっきりした数字になったのだと私は考えます。

その後の会社

2006年には、食品業界にX線異物検出装置が入ってから「まだ10年程度」であり、導入当初は1台1,000万円程度が当たり前だった、と報じられました。10年ほどで、X線は工場にとって手の届く機械になっていったのです。

会社の形も、何度か変わります。

2002年、アンリツ本体の産業機械事業は、販売会社だったアンリツ産機システムに統合されました。検査機の事業は、本体から切り出された一つの会社になったのです。2015年10月1日には、その会社の名前をアンリツインフィビスに改めています。

その間に、相手は海外の工場にも広がりました。中国、アメリカ、イギリスに現地法人を設け、2008年にはタイ、2013年には上海の工場が動き始めます。2007年には、検査機のデータをネットワークで一つにまとめる品質管理システム「QUICCA」を発売しました。1台の機械を売る商売から、工場全体の記録を預かる商売へ。検査機の役割が、ここで一段広がります。

数字で見ると、2014年3月期の産業機械の売上は169億円で、会社全体の16パーセントでした。2017年には、国内の食品加工ラインはおよそ10万あると想定されている、と報じられています。その10万のラインが、この事業の相手でした。

そして2021年、検査機の事業はもう一度アンリツ本体に戻ります。事業の主体をアンリツ株式会社が引き継ぐ形に組み直されたのです。切り出して育て、また本体に戻す。組織の形が、この事業の育ち方をそのまま映しています。

払ったものもありました。1995年に始めた英国製X線の販売は、お客様の求めを満たせず、自社開発に置き換わりました。他社の機械で市場に入ったものの、そのままでは届かなかったのです。

機械そのものも変わり続けています。2023年に出した超高速の重量選別機は、軽い品物なら1分間に最大1,000個を量ります。1970年のカプセル用は1分間に600個でした。品物も機械の形も違うので単純には比べられませんが、数字の上では半世紀で7割近く増えたことになります。2025年には、AIが細かな違いや不良の特徴を学んで判定するX線検査機と、においのセンサーとAIで官能検査を自動にする「におい検査機」を出しました。はかる対象は、ついに「におい」にまで広がっています。

そして、事業は1号機の行き先に戻りつつあります。2026年、会社は錠剤を近赤外線で透かし、壊さずに全数を検査する装置を展開しています。1964年、最初の1台が向かったのは薬の会社でした。60年あまりを経て、この事業は、薬の一粒一粒をはかるところまで来ています。

社史の目で見ると

電話と無線の会社が、なぜ工場の検査で国内の大半を占めるまでになったのか。

私の見方は、こうです。アンリツは、自分たちの技術を「電話を作る力」ではなく「わずかな違いを電気で読む力」として捉え直しました。そう捉えれば、長さも、重さも、金属も、骨のかけらも、同じ「違い」として読むことができます。そして、その力をお客様の現場、つまり薬と食品の工場のラインに、60年間置き続けました。

この会社の社史に残すべき場面は、三つあると考えます。

一つめは、1961年の電子マイクロメータです。工場で使う計測器は、重量選別機より3年早く生まれていました。会社自身が、オートチェッカをこの技術の発展として説明しています。社史に「1964年、オートチェッカ製造開始」と一行だけ書けば、その根がどこにあったのかは見えなくなります。

二つめは、1号機が薬の工場に向かったことです。いまでは食品の検査機として知られる事業が、最初は薬のためのはかりでした。そしていま、事業はふたたび錠剤の検査へと広がっています。始まりの1台がどこへ行ったのかは、60年後の事業の行き先を読み解く手がかりにもなります。社史を作るとき、「最初のお客様は誰だったか」は、つい年表から落としてしまう情報です。けれど、そこにこそ会社の技術がどこで鍛えられたかが表れます。

三つめは、英国製のX線を扱った時期です。成功した製品の話だけを並べると、2000年の発売は、ある日突然の一歩に見えてしまいます。けれど実際には、他社の機械を売り、足りなさを知り、1,000万円超を600万円に、2,100ミリを800ミリにという目標を立てた時間がありました。うまくいかなかった時期こそ、次の判断の理由です。

「はかり続けて半世紀」。会社は、オートチェッカの製品紹介にこう掲げています。はかる対象は、電波から長さへ、長さから重さへ、重さから異物へと移っていきました。けれど、わずかな違いを読み取るという仕事そのものは、変わっていないのです。

あなたの会社の「そのとき」は、いつでしたか。

会社の歩みを、その理由まで読めるかたちで残しておきたい方は、KATARUの読みもの(https://kataruai.com/shiryo/)もあわせてご覧ください。

参考にした公開情報

連載「そのとき、会社が動いた。」は、公開情報で読む、あの会社の社史です。

※この記事は公開情報をもとにKATARUが独自にまとめたもので、アンリツ株式会社とKATARUの間に関係はありません。

この記事は、noteの連載「そのとき、会社が動いた。」にも掲載しています(noteで読む)。

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公開日:2026年10月16日 KATARU(運営 ミダスマーケティング)