2010年4月1日。新しい扇風機の発表会で、壇上に立った社長が、自社の製品についてこう言いました。「3万円の扇風機は“トンデモ価格”だと思います」。続けて、「私も3万円の扇風機は買いません」。
扇風機の名は「GreenFan」。希望小売価格は33,800円です。家電量販店に行けば、扇風機は数千円で買える時代でした。その数倍から10倍の値札を、つくった本人が「トンデモ」と呼んでいます。
この扇風機は、2010年も2011年も、予定した台数を売り切りました。
不思議なのは、その1年前の会社の姿です。発表会の前の年、この会社は倒産寸前でした。注文は止まり、銀行からの借り入れは年商の3分の2に達していた。社長の寺尾玄氏は、会社が「もって半年」だと思っていたと振り返っています。量産に必要な6,000万円を貸してくれる銀行はなく、その金を工面してくれる人が見つかったとき、ポケットには600円しか残っていなかったと報じられています。
倒れる寸前の会社が、なぜ、誰も高い値段を払わないはずの扇風機に賭け、そこから立ち直れたのか。手がかりは、社長がミュージシャンをやめて町工場に通っていたころの、ある光景にあります。
- 2001年 寺尾玄氏のバンドが解散。町工場を訪ね歩き始める
- 2003年3月 東京・武蔵野で有限会社バルミューダデザインを設立
- 2008年末 リーマンショックの後、注文がほぼ止まる
- 2009年1月 扇風機の開発を始める
- 2010年4月 扇風機「GreenFan」を発表
- 2011年3月 株式会社に改め、社名をバルミューダに
- 2015年6月 トースター「BALMUDA The Toaster」を発売
- 2020年12月 東証マザーズに上場
第1章 金髪の訪問者
寺尾玄氏は1973年、千葉県に生まれます。17歳で高校をやめ、1年のあいだ、スペインやイタリア、モロッコなど地中海の沿岸を旅しました。
帰国して選んだのは、音楽でした。自分でつくった曲をレコード会社に送り、大手のレーベルからデビューが決まります。けれど、契約は結ばれたあとに破棄されることになる。バンドの活動は9年ほど続き、2001年、20代の終わりに解散します。そのあとの日々を、寺尾氏は「3カ月くらい真っ白になりました」と語っています。
次に手を伸ばしたのが、ものづくりです。経験はありません。寺尾氏は電話帳で工場を探し、一軒ずつ訪ねていきました。その数は50社を超えたといいます。外見は金髪のミュージシャンのまま、ものづくりの経験もない若者が、仕事を教えてほしいと頼みに来る。忙しい現場では相手にされないことも多かったと、同社は振り返っています。
それでも通い続けるうちに、受け入れてくれる工場が出てきました。金属を削る加工を専門にする工場で作業場を借り、素材を手に取りながら、寺尾氏は工程を一つずつ覚えていきます。
ここで覚えておきたい光景が一つあります。町工場の職人が、扇風機の風を工場の壁に当てていたことです。職人は寺尾氏に、こう教えたといいます。「扇風機の風を壁に1回当てて跳ね返るようにすると、優しい風になるんだよ」。この何気ない一言は、それから何年もたって、ある製品の形になります。
2003年3月、寺尾氏は東京・武蔵野市で有限会社バルミューダデザインを立ち上げます。自己資金は20万円。社員は自分一人でした。
最初の製品は、ノートパソコンの下に敷いて熱を逃がす台「X-Base」です。値段は3万7,800円。まず5台をつくりました。インターネットで紹介すると、1時間もしないうちに最初の注文が入り、その夏までに120台が売れます。
5台から始めて、120台。小さな数字ですが、3万円を超える台にも買い手がついた。高くても良いものを、という会社の売り方は、最初の製品から始まっていたのです。
第2章 鳴らないファックス
それから5年ほど、会社は小さな製品を少しずつ出していきます。2008年5月には、初めて金型をつくって量産したデスクライト「Airline」を発売しました。社員は寺尾氏を含めて3人です。
その年の秋、リーマンショックが起きます。
注文はファックスで届いていました。そのファックスが、数週間まったく鳴らない。故障かと思ったほどだったと、同社は記しています。景気が冷えると、暮らしに欠かせない物でない限り、買い物は後回しにされます。小さな会社の高い照明や周辺機器も、その例外ではありませんでした。
2009年当時の会社の数字を、寺尾氏は後にこう明かしています。年商4,500万円に対して、赤字が1,400万円。銀行からの借り入れは3,000万円。1年で売上の3分の1近い赤字を出し、借金は年商の3分の2に達していたことになります。
寺尾氏はこの時期について、「奇しくも、会社が本当に倒産寸前という状態でした」と語っています。そして、「正直、『もって半年かな』と思いました」。
音楽でうまくいかず、ものづくりでもうまくいかない。寺尾氏は後の講演で、そのときの気持ちを「音楽の世界でもダメで、製造業でもダメかと思った」と話しています。
ここで寺尾氏が選んだのは、守りではありませんでした。
「最後に、一番やりたかったことをやろう、倒れるなら前に倒れよう、という思いで、ほかの一切をやめて、扇風機の開発に突入しました」
経費を削り、残された時間を少しでも延ばす。そういう選び方もあったでしょう。けれど寺尾氏は、残された時間を、一つの製品にすべて注ぐほうに使いました。倒れるにしても、前に倒れる。この言葉が、会社のこの先を決めていきます。
第3章 「良いものが1個もない」市場
なぜ、扇風機だったのか。
当時の扇風機は、家電の中でも目立たない存在でした。何十年も前から形がほとんど変わらず、量販店では数千円で売られている。
寺尾氏の見方は違いました。「当時の扇風機市場は非常にユニークで、良いものが1個もないという珍しい市場でした」と語っています。良いものがない市場は、裏を返せば、良いものを出せば一番になれる市場です。
2009年1月、開発が始まります。
寺尾氏がつくりたかったのは、自然の風でした。扇風機の風は、羽根から押し出された空気がかたまりのまま体に当たる。長く当たると疲れてしまう。木陰を抜けてくるような、やわらかく広がる風はつくれないか。
ここで、町工場の光景が戻ってきます。壁に1回当てて跳ね返らせた、優しい風です。もう一つ、寺尾氏はテレビで見た「30人31脚」も手がかりにしたと、同社は紹介しています。30人の子どもが肩を組み、足を結んで走る競技です。速い人も遅い人も、隣と組めば一つの列になって進む。
速い走者は、肩を組んだ遅い走者に引っぱられる。風も同じではないか。速い風は、遅い風に引っぱられる。この二つの光景から生まれたのが、羽根を内側と外側の二重にする仕組みでした。速さの違う風を隣り合わせで送り出し、混ざり合わせて、やわらかい一つの面の風にする。言葉にすれば簡単ですが、形にするには試作を重ねるしかありません。寺尾氏たちは数十種類の羽根をつくり、舞台で使うスモークマシンでガレージに煙を流して、風の通り道を目で確かめていきました。
2009年4月、最初の試作の羽根ができあがります。
試作は予想以上の出来だったと報じられています。ただし、手元には量産するお金がありませんでした。
第4章 6,000万円と600円
扇風機を売るには、プラスチックを流し込む金型をつくり、最初の量産分をまとめて生産しなければなりません。初回の3,000台と金型で、必要な額は6,000万円でした。
年商4,500万円、借り入れ3,000万円の会社です。寺尾氏は「そんな会社に6,000万円貸してくれる銀行はどこにもありませんでした」と語っています。助成金にも手を尽くしましたが、すべてだめでした。
扇風機の心臓であるモーターは、ある専業メーカーにつくってもらうことになっていました。そのメーカーの社長は、試作の費用およそ400万円をすでに立て替えてくれていた人です。寺尾氏は、この社長に量産の資金を頼むことにします。
社長は試作のときに、こう言っていました。「試作品を1台作ってこい。試作品を見れば銀行も見る目が変わるだろう」。けれど、試作ができても、寺尾氏が向かったのは銀行ではありませんでした。製品を店に並べてくれる販売店を回り、まだ存在しない扇風機の注文を取りに行ったのです。3、4日で、2,000台ほどの内示書が集まったと寺尾氏は振り返っています。
内示書は、正式な注文の手前で「この数を仕入れるつもりだ」と示す書類です。まだ1台も量産されていない扇風機に、販売店が名前を書いてくれた。銀行が見るのは過去の数字です。販売店が見たのは、これから店に並ぶ物でした。
そして、社長の前でこう切り出します。
「すみません、銀行には行きませんでした。その代わり販路を回って注文を取ってきました。もう注文が来てるんです。この勝負絶対勝てると思います。私も人生賭けてます。6,000万円立て替えてください」
社長はしばらく黙ったあと、「しょうがねえな、こうなったら」と答えたといいます。そして6,000万円の借り入れを起こし、量産の費用を立て替えてくれました。
了承をもらったとき、寺尾氏のポケットに残っていたのは600円だったと報じられています。

6,000万円と600円。10万倍の開きです。その差を埋めたのは、過去の実績ではありませんでした。試作の扇風機と、販売店から集めた紙の束と、立て替えてくれる人がいたことでした。寺尾氏は後に、「あの社長さんがいなかったら、いまのバルミューダも『GreenFan』も存在しなかったでしょう」と語っています。
この社長と会社の名前は、今回たどった公開情報には出てきません。
第5章 「トンデモ価格」の扇風機
2010年4月1日、冒頭の発表会が開かれます。会社が「もって半年」と思われた冬から、1年あまりがたっていました。
GreenFanの消費電力は、いちばん弱い風で4ワット。羽根は二重で、風は遠くまで、やわらかく届く。希望小売価格は33,800円。発売は5月中旬とされました。
壇上の寺尾氏は、自分から「トンデモ価格」と口にします。そのうえで、自分も3万円の扇風機は買わない、とまで言いました。値段の高さを、つくった本人が先に認めてしまう。発表の場では珍しい言葉です。
結果は、予想を超えました。発売の年も、翌年も、予定した台数を売り切ります。初年度の販売は1万2,000台と紹介されています。翌2011年には、5月20日ごろに夏の予約分が埋まりました。寺尾氏は「結果的にグリーンファンが理解され、メリットがユーザーに伝わって、我々の予想を上回るセールスを初年度から記録しました」と振り返っています。
会社の数字も変わります。寺尾氏が講演で示したところでは、扇風機を出してからの売上は2億5,000万円に始まり、毎年のように伸びて、2015年には29億円に達しました。
2011年3月、会社は株式会社に改まり、社名から「デザイン」が外れてバルミューダ株式会社になります。
注文のファックスが鳴らなかった冬から、ほんの2年あまりのことでした。
第6章 風の次に
扇風機で立ち直った会社は、空気清浄機、加湿器と、同じやり方をほかの家電にも広げていきます。2015年6月には、スチームでパンを焼くトースター「BALMUDA The Toaster」を発売。上場のころまでに、累計100万台を超えました。
どれも、昔からある家電です。誰もが持っていて、値段で選ばれがちな道具。それを、体験の良さで高く売る。GreenFanで見つけた筋道を、製品を替えながらなぞっていったことになります。
2019年12月期の売上高は108億4,900万円。設立から18年目の2020年12月16日、バルミューダは東証マザーズに上場しました。この時点で、GreenFanのシリーズは累計50万台を超えています。
その先には、うまくいかなかった挑戦もあります。2021年11月、同社は5Gのスマートフォンを発売し、携帯端末の事業に参入しました。2023年5月、次の機種の開発が原材料の高騰と円安で止まったこともあり、経営の力を家電に集めるため、この事業を終えることを決めます。事業の整理にともなう損失は5億3,600万円でした。
売上高は2021年12月期に183.8億円、2025年12月期は101.2億円で、15.96億円の純損失を計上しています。従業員は104人。扇風機に賭けた3人の会社から見れば、30倍を超える所帯です。
風をつくった会社は、いまも次の一手を探している途中にあります。

終章 社史の目で見ると
倒れる寸前の会社が、なぜ、誰も高い値段を払わないはずの扇風機に賭け、立ち直れたのか。冒頭の問いに戻ります。
答えは、二つの重なりにあると見ています。
一つは、賭けた先が、寺尾氏が町工場で見てきたものとつながっていたことです。壁に当ててやわらかくした風。それを見た人が、8年後に「良いものが1個もない」扇風機の市場に気づいた。思いつきの一発勝負ではなく、手で覚えたことの延長に賭けていたのです。
もう一つは、お金の集め方です。寺尾氏は銀行の前に、販売店を回りました。まだ形のない製品に、2,000台ほどの内示を先に集めた。その紙の束が、6,000万円を立て替えてもらう、いちばんの決め手になりました。
社史の目で見ると、残しておきたい場面がいくつかあります。
まず、ファックスが鳴らなかった数週間です。年表には「2008年 リーマンショック」の一行しか残りません。けれど、注文が一枚も来ない日々があったからこそ、「倒れるなら前に倒れよう」という判断に重みが生まれます。その静けさを、日付と数字ごと書き残しておく価値があります。
次に、立て替えてくれた人の言葉です。「しょうがねえな、こうなったら」。この一言がなければ、GreenFanは金型にもならなかった。けれど、その社長の名前は、今回たどった公開情報には出てきません。会社を救った社外の人の名前と言葉は、社内の記録にしか残せないものです。
そして、発表会の日の「私も3万円の扇風機は買いません」です。自分の製品の弱みを、自分の口で先に言う。その率直さがどこから来たのかを、つくった人が語れるうちに残しておけば、次に会社が高い値札を付けるときの、何よりの手がかりになるはずです。
ポケットの600円は、どこにも記帳されない数字です。けれど、会社が動いた日を語るとき、いちばん先に思い出されるのは、たぶんこういう数字なのだと思います。
あなたの会社の「そのとき」は、いつでしたか。
会社の歩みを、その理由まで読めるかたちで残しておきたい方は、KATARUの読みもの(https://kataruai.com/shiryo/)もあわせてご覧ください。
参考にした公開情報
バルミューダ株式会社の発表・開示
- バルミューダ「開発ストーリー」001・002・003 https://www.balmuda.com/jp/about/story/001 / https://www.balmuda.com/jp/about/story/002 / https://www.balmuda.com/jp/about/story/003
- バルミューダ株式会社 有価証券報告書(第23期) https://disclosure2dl.edinet-fsa.go.jp/searchdocument/pdf/S100XTCP.pdf
- バルミューダ株式会社 上場時の決算情報(2020年12月) https://www2.jpx.co.jp/disc/66120/140120201210433460.pdf
- バルミューダ株式会社「携帯端末事業の終了に関するお知らせ」(2023年5月) https://www2.jpx.co.jp/disc/66120/140120230502558349.pdf
- 日本取引所グループ「新規上場会社情報」(2020年12月15日) https://www.jpx.co.jp/news/1031/20201215-01.html
報道・インタビュー
- 家電Watch(2010年4月2日) https://kaden.watch.impress.co.jp/docs/news/358474.html
- 家電Watch(2012年7月9日) https://kaden.watch.impress.co.jp/docs/column/newtech/543234.html
- 日経クロステック(日経ものづくり 2010年8月号) https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/00864/080500009/
- リクナビNEXTジャーナル(2014年9月17日) https://next.rikunabi.com/journal/20140917/
- ニュースイッチ(2015年5月28日) https://newswitch.jp/p/790
- ビジネス+IT(2016年6月16日) https://www.sbbit.jp/article/cont1/32258
- リクルート「ゲストトーク」 https://www.recruit.co.jp/blog/guesttalk/20161024_288.html
- テレビ東京「カンブリア宮殿」 https://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/smp/backnumber/2017/1019/
- ダイヤモンド・ザイ https://diamond.jp/articles/-/254032
- 東洋経済オンライン(2021年1月13日) https://toyokeizai.net/articles/-/402821
- ITmedia ビジネスオンライン(2021年1月28日) https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2101/28/news012.html
- マネーポストWEB(2021年12月30日) https://www.moneypost.jp/862943/2/
- 新潮社『行こう、どこにもなかった方法で』書誌情報 https://www.shinchosha.co.jp/book/350941/
- ライフハッカー・ジャパン(2013年4月29日) https://www.lifehacker.jp/article/130429balmuda_interview/
連載「そのとき、会社が動いた。」は、公開情報で読む、あの会社の社史です。本記事は公開情報をもとに独自にまとめたもので、バルミューダ株式会社とKATARUとの間に関係はありません。
この記事は、noteの連載「そのとき、会社が動いた。」にも掲載しています(noteで読む)。
公開日:2026年10月15日 KATARU(運営 ミダスマーケティング)