2020年4月10日。クラウドファンディングのサイトに、ひとつの食器のページが公開されました。
1,000回落としても割れない、という器です。掲げた目標金額は20万円。ところが5月29日の締め切りまでに、1,481人から1,551万8,600円が集まりました。目標の70倍を超える額です。
器の名前は「ARAS(エイラス)」。つくったのは、石川県加賀市の石川樹脂工業という、樹脂の成形メーカーでした。
意外なのは、その数年前のことです。この会社は、赤字だった受託生産の値上げを取引先に頼んでまわり、その結果、受託の取引先がおよそ4分の1にまで減っていました。売上の大半を受託に頼っていた会社にとって、柱が細くなったのです。
なぜ、取引先が4分の1に減った会社が、そこから伸びることができたのか。手がかりは、この会社が最初に何をつくっていたかにあります。
- 1947年 加賀市の山中温泉で、漆器の木地を売る商いとして創業
- その後 樹脂製の漆器を開発。受託生産(OEM)で業績を伸ばす
- 2016年 石川勤さんが家業に入る
- 2018年 ARASのプロジェクトが始まる
- 2020年 ARASを発売。4月、クラウドファンディングで1,551万円
- 2024年9月期 売上高22億円
- 2026年 ARASが売上の7割、利益の9割を占める
木地の町の樹脂屋
石川樹脂工業の始まりは、木です。1947年、石川重雄さんが、加賀市の山中温泉で漆器の木地を売る商いを始めました。山中漆器は、400年以上の歴史を持つ産地です。戦後まもなく、物資の乏しい時代でした。
やがて会社は、木から樹脂へ主力を移します。木の器に漆を塗る代わりに、樹脂で量産できる漆器を開発しました。欠けない箸や平らなお盆も手がけています。暮らしの変化に合わせて素材を替えたのです。
伸びたのは、受託生産でした。他社のブランドの器や雑貨を、注文どおりに成形して納める。大手外食チェーンで使われるグラスも、そのひとつでした。いまも会社は、電力や通信、鉄道向けの工業部品、仏具などをつくっています。受託の仕事では、器の裏に入る名前も、店先に並ぶ名前も、注文主のものです。
受託には、もう一つの面があります。価格を決めるのが自分ではないことです。会長の石川章さんは、取引先の立場の強さに触れながら、対等な関係を築くには人ができないことをしなければいけない、と語っています。創業者から受け継いだ言葉は「誰もやらなかったことをやる」でした。
挑戦がいつも実ったわけではありません。20年ほど前、経営が苦しかった時期には金型を大量に売ったこともあります。ガラスの工場には、レーザー加工機の約7,000万円を含めて計2億円以上を投じましたが、水槽をつくる企画は試作の段階で止まりました。新しいことに手を出し、失敗もする。その積み重ねの先に、のちの器があります。
つくるほど赤字
2016年、石川勤さんが家業に戻ります。東京大学を出て、大手消費財メーカーのP&Gで約10年働いたあとでした。
「P&Gを辞めて、父が元気なうちに一緒に働きたいなと思いまして、アトツギとして戻ってまいりました」と、石川さんは語っています。30歳を過ぎて自分の仕事を問い直したとき、P&Gで学んだ考え方を父の会社のものづくりで生かすことに興味を持った、とも話しています。P&Gには「Consumer is Boss」という言葉がありました。お客を起点に動く、という意味です。受託の会社が毎日向き合う相手は、取引先です。その器を最後に使う人と、直接向き合う機会は多くありません。この言葉を持ち帰った人が、受託の会社に入ったことになります。
戻ってみると、目の前は課題の山でした。「僕が入社した時に、めちゃくちゃ課題だらけだと思いました」。言いなりになりがちな下請けの仕事、低い賃金、外国からの技能実習生に頼る現場、遅れたデジタル化。そして、樹脂という素材そのもののイメージの悪さです。加賀市は、20年後に生産人口が半分になると言われる町でもありました。
なかでも重かったのは、数字です。当時、売上の大半は受託生産でした。そして、その受託は赤字だったのです。理由を、石川さんはこう語っています。「取引先からの品質に対する要求が年々高まり、工数が増えたにも関わらず、価格を据え置いていたためです」
つくればつくるほど、手間が増え、赤字がふくらむ。石川さんは、取引先を一軒ずつ訪ねて、値上げの交渉をしました。
結果、受託の取引先はおよそ4分の1に減ります。値上げを受け入れてもらえなかった取引先が、離れていったのです。裏を返せば、赤字の仕事を続けるか、売上が細るのを受け入れるか、の分かれ道でした。この値上げが、自社ブランドへ移る布石になったとされています。
入社したばかりの石川さんにとっても、楽な時期ではありませんでした。「戻って来た当初は、社員の皆さんにあまり受け入れられていなかったと思います」と語っています。営業を担当し、営業成績で1位になったことで、少しずつ受け入れられていったといいます。
当時の会社の形も、数字に表れています。120〜130人ほどの社員のほとんどが製造の担当で、営業は5〜6人でした。注文が来たものを、きちんとつくる。受託の会社としては自然な形です。ただそれは、自分で売るための筋肉が少ない体でもありました。
器で勝負する
自社ブランドは、石川さんが戻る前から会社の課題でした。父は「自社ブランドをしっかりやりたい」と話していた、と石川さんは振り返っています。会社には、すでにPlakiraなどの自社ブランドがありました。
ただ、Plakiraでは、つくれる商品の幅に限界が見えてきていました。器を中心に、食卓全体を提案できるブランドがほしい。2018年、ARASのプロジェクトが動き出します。
石川さんは、ほかにも新しい種をまいています。炭素繊維で強くした樹脂(CFRP)で、テントのペグをつくった。地元の繊維メーカーから声がかかり、インフラ向けの高強度ボルトの開発にも取り組んだ。
なぜ、器だったのか。工業部品でも雑貨でもなく食器を選んだ理由を、石川さんはこう語っています。「私自身、山中漆器や九谷焼に囲まれて育ちました。それならど真ん中の『器』で勝負しよう。これで失敗しても本望だと覚悟を決めました」
組んだのは、金沢の創作集団seccaでした。目指したのは、陶器や漆器に似せた樹脂ではありません。「フェイクではなくて樹脂の素材そのものの魅力というのはどうなのかというのをずっと5年以上一緒に考えて、生まれたのが、ARASです」と、石川さんは語っています。
素材は、樹脂とガラスを掛け合わせた新しいものです。1,000回落としても割れない。それでいて、器としての手ざわりがある。形づくりでは、石膏で模型をつくってから3Dスキャンし、自然界のモチーフから凹凸をつくって3D CADで設計しました。お気に入りの食器を持っていても、割れる心配や手入れの手間があって、なかなか普段使いしにくい。売り出しのページには、そんな悩みが書かれています。その答えとして、「ARASは1,000回落としても割れない、こだわりのある人の普段使いの食器です」と、石川さんは説明しています。
開発には、プロジェクトの始まりから約2年かかりました。量産に向けた試行は、はじめはうまくいかないことが多かったと、石川さんは振り返っています。
そして、同じ時期に進めていた高強度ボルトの新規開発は止めました。ARASの売上が伸びたためです。種をいくつもまき、伸びたものに力を寄せる。やめる判断も、ここでは前に進むための判断でした。
ここで大事なのは、木地の町で培ったものが、そのまま生きていることです。樹脂で漆器をつくってきた成形の腕と、器に囲まれて育った目。そこに、「割れない」という樹脂ならではの性質を、隠さずに前に出した。書き手の目には、似せるのをやめたことが、このブランドの芯に見えます。
ブランドの言葉にも時間をかけました。石川さんは「ARASの立ち上げにおいて、最も時間のかかったポイントがコンセプトづくりです」と語っています。会社のルーツ、食との近さ、環境への配慮をふまえて、方向を決めていきました。
コロナの春
2020年2月、ARASはテスト販売を始めます。ちょうどそのころから、新型コロナウイルスが広がっていきました。会社は本格的な売り出しを前倒しし、クラウドファンディングのサイトで世に出すことにします。マーケティングは、前の年の秋から担当を引き継いでいた、インターン出身の若手が担っていました。
4月10日に公開したページには、1,481人が集まります。目標20万円に対して、1,551万8,600円。「不安のある最初の段階で、本当にありがたいことに多数の熱量の高い初期のユーザーさんを獲得できて本当にいいスタートができました」と、石川さんは振り返っています。

ARASの初年度の売上は1億円でした。そこから、発売から5年で年商20億円に届いたと報じられています。会社全体の売上高は、2024年9月期に22億円になりました。
中身の入れ替わりも、はっきりしています。2022年の時点で、自社ブランドは売上の5割ほどでした。2026年には、ARASだけで売上の7割、利益の9割を稼ぐ主力になっています。かつて売上の大半だった受託と、立場が逆になったのです。石川さんは、こう語っています。「結果として本当に運が良かったのが、OEMは実は減少していたのですが、全体の売り上げを3年で3割もアップすることを達成できました」

ブランドは、その後も素材の幅を広げます。2021年12月には、原料の半分ほどに杉の廃材を使ったシリーズを、2022年7月には海水を使ったシリーズを出しました。捨てるか燃やすしかなかった杉の皮を生かした器です。インスタグラムのフォロワーは、2024年には15万人に近づいていました。
工場も変わりました。2019年から産業用ロボットを入れ始め、5年で20台に。1人で見られる成形のラインは2本から最大11本になり、成形機の稼働率は約4割から8〜9割に上がったといいます。ねらいを、石川さんは「人間にしかできないこと、人間がすべきことによりフォーカスするために、単純作業のロボットへの置き換えを進めています」と説明しています。製品の外観の検査も、人の目からiPhoneのアプリに切り替えました。外国からの技能実習生は、44人から7人に絞っています。
人の数にも、変化が出ています。2016年に120〜130人ほどだった社員は、2026年夏のテレビ番組では従業員90人と紹介されました。売上高は30億円です。人を増やさずに、売上を伸ばしてきたことになります。職人について、石川さんは「お客様だけでなく、作り手にもこの価値が届いている。それが素直に嬉しい」と語っています。機械に任せる仕事が増えるほど、手でしかできない仕事が際立つ。石川さんの言葉では、ARASは「職人の仕事の価値を残し、高めることができるのです」。
払ったものもあります。値上げで離れた取引先の仕事です。受託の売上は、ARASが伸びるあいだも減っていました。人口が減っていく町で、人に頼らずにつくれる体制も、自分たちで組み立てるしかありませんでした。
いま会社は、2030年に年商100億円という目標を掲げています。百貨店や雑貨店、リゾートの宿泊施設へと扱う先も広がり、石川さんは「本当にナショナルブランドになるための正念場に挑んでいるところです」と語っています。
社史の目で見ると
なぜ、取引先が4分の1に減った会社が、そこから伸びることができたのか。
値上げで手放すことになったのは、つくるほど赤字になる仕事でした。受託に頼りきる道が細くなったことで、会社は自分の名前で売るものに力を注ぐしかなくなります。そこに、木地から樹脂へ素材を替えてきた成形の腕と、器の町で育った目を注いだ。書き手は、取引先が減った日を、自分の名前で売る覚悟が固まった日として読みます。
もう一つは、会社の体の変わり方です。2016年、社員のほとんどがつくる人で、売る人は5〜6人でした。いまはマーケティングに6人ほどを置き、各地の百貨店を見て回り、ブランドの世界観に合う発信者に直接声をかけて、料理の写真を投稿してもらっています。工場では単純作業をロボットに任せていく。つくるだけの会社から、つくって売る会社へ、体を組み替えてきたことが分かります。
そしてもう一つ、見落としたくない点があります。ARASは、樹脂を陶器に似せるのをやめた器でした。1947年に木地を売るところから始まった会社が、木から樹脂へ移り、樹脂であることを隠さない器で勝負した。素材を替えてきた歴史の先に、素材そのものを名乗る日が来たのです。
この歩みを社史に残すなら、記しておきたい場面が3つあります。
1つ目は、取引先を一軒ずつ訪ねて値上げを頼んだ日々です。誰に何と言い、どこで断られたのか。売上が減ることを覚悟して回った記録は、うまくいった後ほど語られにくくなります。東京から戻ってきた跡継ぎが、取引先の前で何を話し、相手にどう受け止められたのか。値上げを受け入れてくれた取引先は、何が決め手だったのか。どれも数字の表には残らない場面です。
2つ目は、「器で勝負する」と決めた理由です。工業部品でも雑貨でもなく、器を選んだ。その判断の根にある、山中漆器や九谷焼に囲まれて育った記憶は、本人の言葉で残しておかないと消えてしまいます。どの器を見て育ち、何を手に取って「器で勝負しよう」と思ったのか。社史の取材なら、その一つ目の器から聞き始めたいところです。
3つ目は、2020年の春です。売り出しを前倒しすると決めたのは誰で、そのとき社内で何が話されたのか。20万円の目標に1,500万円が集まった日の空気は、その場にいた人に聞いておくしかありません。インターンから担当になった若手が、初めての売り出しをどう準備したのか。数年たてば「勢いよく売れた」の一言にまとめられてしまう細部こそ、社史に残す価値があります。
あなたの会社で、売上が減ると分かっていて決めたことは、ありましたか。
会社の歩みを、その理由まで読めるかたちで残しておきたい方は、KATARUの読みもの(https://kataruai.com/shiryo/)もあわせてご覧ください。
参考にした公開情報
- Makuake「手軽に家ごはんを格上げ。お皿を一から設計し、料理を美味しくする食器【ARAS】」(2020年4月10日〜5月29日)https://www.makuake.com/project/aras/
- ICC「『石川樹脂工業』は、1,000回落としても割れない食器『ARAS』を通して樹脂の可能性を世の中に拡げていく(ICC FUKUOKA 2024)」(2024年5月13日)https://industry-co-creation.com/catapult/101632
- Forbes JAPAN「年商20億円の食器『ARAS』 伝統工芸産地で新ブランドが未来を拓く」(2026年4月21日)https://forbesjapan.com/articles/detail/95464
- 中小機構 100億企業成長ポータル「伝統工芸に新たな価値を吹き込み、割れないうつわ『ARAS』で100億へ」(2026年2月13日)https://growth-100-oku.smrj.go.jp/interview/20260213/interview4/
- MONOist「炭素繊維市場創出の“場”として機能する金沢工大ICC、参加企業が見いだす意義」(2026年2月24日)https://monoist.itmedia.co.jp/mn/spv/2602/24/news001_3.html
- おてもと「『消滅可能性都市』の中小企業が、5年間で生産性を2倍に。」(2025年3月28日)https://o-temoto.com/akiko-kobayashi/ishikawajushi/
- カナミー金沢「【Relation】石川県の中小企業経営者インタビュー vol.20」(2025年3月3日)https://kaname-kanazawa.com/relation-ishikawajushi/
- ニュースイッチ「“ガラス×樹脂”食器で世界に打って出る、石川樹脂が生かす部品づくりの技術力」(2022年11月8日)https://newswitch.jp/p/34492
- テレビ東京「カンブリア宮殿 崖っぷちの下請けから自社ブランドで大逆転!」(2026年7月30日放送)https://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/backnumber/2026/0730/
- テレ東プラス「【1000回落としても割れない皿】が大ヒット!地方メーカーの逆転劇」(2026年7月31日)https://www.tv-tokyo.co.jp/plus/business/entry/202607/19676.html
- ITmedia ビジネスオンライン「加賀市で生まれたデジタルイノベーション 石川樹脂工業の挑戦と成功」(2023年3月13日、加賀市などの提供記事)https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2303/13/news002.html
- 石川樹脂工業 Wantedlyストーリー vol.2(2021年12月29日)https://www.wantedly.com/companies/ishikawa_jyushi/post_articles/369382 、vol.4前編(2022年6月27日)https://www.wantedly.com/companies/ishikawa_jyushi/post_articles/399070
- 石川勤「石川樹脂工業株式会社におけるデザインとその保護の取り組み」『DESIGNPROTECT』No.141(2024年)https://www.japio.or.jp/service/files/jdpa/moku141/moku1413943.pdf
連載「そのとき、会社が動いた。」は、公開情報で読む、あの会社の社史です。
※この記事は公開情報をもとにKATARUが独自にまとめたもので、石川樹脂工業株式会社とKATARUの間に関係はありません。
公開日:2026年10月19日 KATARU(運営 ミダスマーケティング)