2010年、ある老舗旅館の帳場から、紙の台帳がなくなりました。
かわりに従業員の手に渡ったのは、パソコンやタブレット、スマートフォンです。仕事はすべて、この旅館が自分たちでつくった仕組みの上で回すことになりました。
旅館の名は「元湯 陣屋」。神奈川県秦野市の鶴巻温泉にある宿です。1918年に創業し、昭和の初めから囲碁や将棋の対局を300局以上重ね、将棋の名人戦の舞台にもなってきました。
意外なのは、その1年ほど前のことです。この旅館は借入金がおよそ10億円にふくらみ、資金が尽きるまであと何か月、という窮状にありました。立て直しを始めたのは、自動車メーカーの研究所でエンジニアをしていた跡継ぎと、その妻です。そして、ふたりが旅館のためにつくった仕組みは、やがて450を超える宿で使われるようになります。旅館が、宿のためのソフトの会社を生んだのです。
なぜ、倒産寸前の老舗旅館が、ほかの宿に売れる仕組みまで生み出せたのか。手がかりは、ふたりが最初に「ないもの」をどう扱ったかにあります。
- 1918年 鶴巻温泉で創業
- 1999年〜 売上が10年続けて下がる
- 2009年 宮﨑富夫さんが4代目社長に、妻の知子さんが女将に
- 2010年 自分たちでつくった「陣屋コネクト」を使い始め、紙の台帳をやめる
- 2012年 株式会社陣屋コネクトを設立し、ほかの宿にも売り出す
- 2014年 平日に休館日を設ける
- 2018年 売上は2009年の2.1倍、6億1,400万円に
- 2021年 陣屋コネクトの導入先が450施設を超える
継ぐ人のいない旅館
陣屋の敷地は1万坪あります。客室は20室ほどの宿で、2000年代の終わりには、創業から90年を超えていました。
ただ、数字は下り坂です。売上は1999年から10年続けて右肩下がり。2009年には、借入金が売上の3倍に達していました。かつて5億円ほどあった売上は、3億円を割り込んでいたといいます。
そこへ、家族の事情が重なります。オーナーだった父が亡くなり、女将だった母も病に倒れました。経営者のいない旅館が残されたのです。
息子の宮﨑富夫さんは、本田技術研究所で働くエンジニアでした。旅館の仕事とは縁の遠い人です。旅館を手放すことも考えたものの、リーマンショックのさなかで、富夫さんは「結局私が経営を引き継ぐしか選択の余地が残されていなかったのです」と振り返っています。
知子さんは、そのときの夫の言葉をこう覚えています。「僕がいなくても1000人いるからなんとかなるでしょう。でも、陣屋は僕しかいないのでしょうがないよね」。大きな会社には代わりがいる。けれど、この旅館を継げるのは自分しかいない、という判断です。
知子さん自身は、2000年に大学を出て、電機メーカー系のリース会社で7年間、営業をしていました。旅館の負債については「大変そうだな、とは聞いていましたが、そこまでとは思っていなかったです」と語っています。旅館の仕事も、帳場の数字も、まったく知らないところからの出発でした。
2009年10月、富夫さんが4代目の社長に、知子さんが女将になります。旅館の外から来たふたりです。そのことが、のちの仕組みづくりの出発点になりました。
紙と勘の帳場
中に入ってみると、驚くことばかりでした。
従業員には、借金のことが知らされていなかったのです。いざとなれば、オーナー一家がなんとかするだろう。そんな空気があったと、知子さんは振り返っています。働いていたのは120人ほどで、社員20人ほどに対してパートが100人を超えていました。
お金の流れも見えません。富夫さんは「とにかく経費の管理がずさんでした」と語っています。償却前の利益は、マイナス7,000万円でした。知子さんの目にも、業務のあちこちに「なぜだろう」と思う無駄が見えたといいます。人は多いのに、手作業が多く、手が空いてしまう時間もある。
旅館で修業をしたことのない女将が、そうした疑問を口にしてよいのか。のちに知子さんは、旅館の修業を経ずに入ったことについて聞かれ、夫に「そんなのナンセンス!」と背中を押されたことを振り返っています。「変だなって思ったことは、そのまま素直に言っていいんだ」と自信が持てた、と。外から来た目が、ここでは弱みではなく、武器として扱われたのです。
人も定着していませんでした。立て直しの前の陣屋は、1年で3人に1人が辞めていく職場だったのです。
つまり、陣屋に足りなかったのは、人手ではありません。情報を、全員が同じときに見られる場所です。
ないなら、つくる
富夫さんが立てた方針は4つでした。人の頭の中や手帳にあった情報を見えるようにして、共有する。売上と経費を月ごとではなく日ごとに見て、手を打つ速さを上げる。お客さまの情報をためて、満足度を高めることと宣伝に生かす。裏方の仕事を機械に任せ、従業員がお客さまと向き合う時間を増やす。
4つ目に注目したいところです。機械に任せるのは、人を減らすためだけではない。人がお客さまの前に立つ時間を取り戻すため、と方針に書いてあるのです。旅館の価値は、結局は人のもてなしにある。その時間を、帳場の書き写しや集計に奪われていた、という見立てです。
どれも、言葉にすれば当たり前です。問題は、それを旅館の現場で実際に回せる道具がなかったことでした。予約から勤怠、在庫、経営の分析までを一つにまとめて扱える仕組みは、見つかりませんでした。
ここで、エンジニアだった富夫さんは、こう考えます。「ないなら自分でつくってみよう」。
書き手の目には、この一言に、車の研究所で働いてきた人の習慣が表れているように見えます。困りごとを道具の問題として捉え、合う道具がなければ、自分の手で組み立てる。旅館の世界では珍しい発想が、外から来た跡継ぎによって持ち込まれたのです。
できあがったのが「陣屋コネクト」です。インターネット上で動くクラウド型の仕組みで、予約から勤怠、在庫、経営の分析までを一つの場所で扱います。2010年、陣屋は紙の台帳をやめ、従業員にパソコンやタブレット、スマートフォンを貸し出しました。
年配の従業員も少なくありませんでした。それでも、勤怠の記録もこの仕組みで行います。富夫さんは「これをしなければお金がもらえないわけですから、高齢者でも一生懸命やり方を覚えます」と語っています。
ねらいは、手間を減らすことだけではありませんでした。富夫さんは「一番の目的は仕事の効率化でしたが、それだけではありません」と話し、その日の売上や人件費がすぐに分かれば、打つ手も早くなると続けています。月末にまとめて数字を見る旅館から、毎日数字を見て動く旅館へ。ここで大事なのは、仕組みが、経営の速さそのものを変える道具だったことです。
話し合いの仕方も変わりました。陣屋では、社内のSNSで、どんなことでも書いてほしいと呼びかけています。改装工事のアイデアを募ったときには、400件を超える書き込みが集まりました。会議は少なく、木曜の午前に1時間の報告会を開くのが中心です。新しい道具を入れるときには、従業員に「今までとは違うけど便利だね」と感じてもらうことが欠かせなかった、と知子さんは振り返っています。

自分の宿のために、ほかの宿へ
変化は数字に出ました。危機からおよそ2年半で、旅館は黒字に戻ります。料理の原価の割合は40%から30%に下がり、2014年には、税引前利益が8,500万円になりました。償却前でマイナス7,000万円だった宿の、5年後の姿です。
その途中の2012年4月、ふたりはもう一つの決断をしました。株式会社陣屋コネクトをつくり、この仕組みをほかの宿にも売り出したのです。
同業者は、本来ならお客さまを取り合う相手です。その相手に、自分の宿の帳場の仕組みを渡すことになります。なぜ、自分たちの武器を外に出したのか。陣屋の資料には、こう書かれています。「同じ機能を旅館毎に開発するのはリソースの無駄遣い」。そしてもう一つ、「他の旅館のおもてなしやノウハウをもっと勉強したいと思った」。一軒の旅館が一人で使っていては、直せるところも、思いつく使い方も限られます。たくさんの宿が使えば、それだけ仕組みが鍛えられ、陣屋自身も学べる、という考え方です。2015年の資料にも、陣屋以外の施設に使ってもらうことで、システムをさらに進化させたい、と書かれています。自分の宿の困りごとから生まれた道具を、業界の道具に育てていく。外に出すことは、手放すことではなく、育てることだったのです。
導入先は増えていきました。2015年2月の時点で120以上、同じ年の10月には160施設。2021年8月には、旅館やリゾート、ビジネスホテル、ホステルなど450を超える施設が使うようになっています。2015年の時点の料金は、初期設定が10万円、利用者1人あたり月3,500円でした。開発は、知子さんによれば、技術の責任者が海外の20人近いプログラマーを束ねる体制で続けられています。
陣屋の資料は、クラウドを「中小企業にとって、ワークスタイル変革を起こし、生産性を高めるための、とても大きな武器」と書いています。専門の部署を持てない小さな宿でも、同じ仕組みを分け合えば、同じ武器を持てる。陣屋は宿を営む会社であると同時に、その武器を配る側にも立ったのです。
休む旅館
仕組みが整うと、陣屋は旅館の常識に手をつけます。
2014年2月、火曜と水曜を休館日にしました。きっかけの一つは、従業員の体を守ることだったと、知子さんは語っています。年中休まず開けるのが当たり前の宿で、休む日を先に決めたのです。2015年1月には、休館日を月・火・水の週3日に増やします。2020年には、1日10時間で週4日働く形に切り替え、基本給は変えませんでした。宿泊の休館日は火・水・木になり、月曜は日帰りの客だけを迎えます。2016年からは副業も勧めるようになりました。休む日が増えれば、そのぶん働く人の暮らし方も広がります。
休めば売上が減る、と考えるのが普通です。ところが、陣屋の数字は逆に動きました。2009年に2億9,000万円だった売上は、2018年には6億1,400万円。2.1倍です。その間に、従業員は120人から42人になりました。

働く人の側の数字も変わっています。社員の平均年収は288万円から408万円へ。高卒の初任給は18万円から25万円へ。1人あたりの労働生産性は200万円から1,000万円へと5倍になりました。1年で3人に1人が辞めていた職場は、2015年までに離職率4%になりました。宿泊の値段は、9,800円からだったものが3万7,000円からになり、1人あたりの平均は5万円ほどです。2018年の償却前の利益は1億8,500万円、売上の3割にあたります。
人数を減らしながら、一人ひとりの給料を上げる。休みを増やしながら、売上を伸ばす。書き手は、その間をつないだのが、紙と勘でやっていた仕事を全員が見られる仕組みに移したことだったと読みます。
2020年、新型コロナウイルスで宿が営業を止めたときも、陣屋は4週間で営業を再開しています。従業員を4つのチームに分ける、独自の勤務の組み方をとりました。チームを分けても宿を回せたのは、情報を全員で見られる仕組みがあればこそだった、と書き手は考えます。
払ったものもあります。泊まれる日を減らし、値段を上げたことで、気軽に泊まれる宿ではなくなりました。120人いた職場が42人になるまでには、多くの人の働き方が変わったはずです。それでも陣屋は、安さではなく、もてなしの質で選ばれる宿を選びました。
陣屋の目は、いまでは一軒の宿の外にも向いています。同じ温泉街の複数の店や宿がまとめて仕組みを使い、地域ぐるみでお客さまを迎える「里山コネクト」という構想を語り、地域の旅行商品をつくる事業にも乗り出しました。自分の宿を立て直すための道具が、まず同業者へ、次に地域へと広がっていったのです。
陣屋は「物語に、息吹きを。」という言葉を掲げています。知子さんは、目標をこう語っています。「旅館を憧れの職業にしよう!!」。
社史の目で見ると
なぜ、倒産寸前の老舗旅館が、ほかの宿に売れる仕組みまで生み出せたのか。
ふたりは、足りないものを探して買おうとしました。見つからなかった。そこで自分たちでつくった。ここまでは、ほかにもある話です。陣屋が違ったのは、つくったものを自分の宿のためだけに閉じ込めず、同じ悩みを持つ宿に開いたことでした。旅館の外から来たふたりは、「旅館とはこういうもの」に縛られず、自分たちの困りごとを業界の困りごととして見ることができた。書き手はそう読みます。
この歩みを社史に残すなら、記しておきたい場面が3つあります。
1つ目は、2009年の帳場です。立て直しの物語は、うまくいった後から振り返ると、出来事の順番だけが残りがちです。紙の台帳が積まれ、借金の額を誰も知らなかった現場。どんな台帳を使い、誰が何を書いていたのか。写真と、その場にいた人の言葉で残しておきたいところです。
2つ目は、紙をやめた日です。年配の従業員が多いなかで、すべてをパソコンとタブレットに移すと決めた。反対の声はなかったのか。最初の1か月で何が起き、誰が誰に使い方を教えたのか。仕組みの話は、使い始めた人たちの話でもあります。10年後に入った社員は、紙の台帳を見たことがありません。だからこそ、変わる前の姿を知る人の話を、変わった理由とともに残しておく意味があります。
3つ目は、2012年に会社をつくり、仕組みを外に出すと決めたときです。自分の宿の強みを、同業者に売る。社内でどんな議論があったのか。最初に使ってくれた宿は、どこで、どんな反応だったのか。450施設という数字の始まりは、その一軒にあります。売り込みに行ったのか、向こうから声がかかったのか。最初の契約書の日付ひとつにも、会社の形が変わった瞬間が記録されています。
1918年に始まった宿にとって、2009年からの10年は、形が大きく変わった10年でした。その10年を当事者の言葉で残せるのは、いまのうちです。
あなたの会社にも、「ないから自分たちでつくった」ものはありますか。
会社の歩みを、その理由まで読めるかたちで残しておきたい方は、KATARUの読みもの(https://kataruai.com/shiryo/)もあわせてご覧ください。
参考にした公開情報
- 株式会社陣屋/株式会社陣屋コネクト「クラウド活用による旅館改革への挑戦」中小企業政策審議会 基本問題小委員会 資料3(2015年12月21日)https://www.chusho.meti.go.jp/koukai/shingikai/kihonmondai/2015/download/151221kihonmondai3.pdf
- 株式会社陣屋/株式会社陣屋コネクト 労働政策審議会 労働政策基本部会 資料(2022年8月30日)https://www.mhlw.go.jp/content/12602000/000981062.pdf
- TKC『戦略経営者』戦経インタビュー「クラウド型システムの開発で老舗旅館を倒産から救う」(2015年2月号)https://tkc.jp/cc/senkei/201502_interview
- AdverTimes.「老舗旅館×クラウドシステム=顧客満足度の向上—陣屋」(2015年9月3日)https://www.advertimes.com/?p=202262
- 日本の人事部「老舗旅館『陣屋』の危機を救った女将とテクノロジー」(2019年3月20日)https://jinjibu.jp/hrt/article/detl/techtrend/2078/
- Forbes JAPAN「旅館DXの旗手、元湯陣屋4代目女将が『週休3日』でV字回復できた理由」(2024年10月21日)https://forbesjapan.com/articles/detail/74452
- 立教大学観光研究所『観光研究所だより』Vol.19(2023年7月1日)https://www.rikkyo.ac.jp/research/institute/it/mknpps000001nhao-att/mknpps000002awzl.pdf
- 社長名鑑「株式会社陣屋 代表取締役 女将 宮﨑知子」(2025年11月時点)https://shachomeikan.jp/industry_article/5209
連載「そのとき、会社が動いた。」は、公開情報で読む、あの会社の社史です。
※この記事は公開情報をもとにKATARUが独自にまとめたもので、株式会社陣屋・株式会社陣屋コネクトとKATARUの間に関係はありません。
公開日:2026年10月20日 KATARU(運営 ミダスマーケティング)