2015年4月20日、大阪府八尾市の石けんメーカーが、新しい家庭用品のシリーズを売り出しました。
名前は「SOMALI(そまり)」。台所用石けん、バスクリーナー、トイレクリーナー、洗濯用の液体石けん、衣類用のリンス剤の5種類です。植物の油からつくった純石けんを原料に、合成界面活性剤も合成香料も使っていません。
つくったのは、1924年創業の木村石鹸です。90年あまり、釜で石けんを炊き続けてきた会社でした。ただし、その石けんや洗剤の多くは、ほかの会社の名前で店に並んでいました。木村石鹸は、長くOEM、つまり他社のブランドの商品をつくる仕事を中心にしてきたのです。
意外なのは、その先です。自社の名前で売り始めれば、他社から受ける仕事は減るだろう。のちに社長となる木村祥一郎は、そう予測していました。ところが実際には、他社からの仕事も増えていきます。
他社の名前の陰で石けんを炊いてきた会社は、なぜ自分の名前を出したことで、下請けの仕事まで増やせたのか。手がかりは、いまSOMALIの名前で売られている、ひとつの台所用洗剤にあります。
- 1924年 大阪で創業。釜で石けんを炊く
- 2006年 生協向けにつくった洗浄剤がヒット。売上10億円に
- 2013年 木村祥一郎が入社。売上の約7割は2社のOEM
- 2015年 自社ブランド「SOMALI」を発売
- 2016年 木村祥一郎が社長に
- 2019年 自己申告型の給与制度に移る
- 2024年 創業100年
- 2025年6月期 売上17億円

釜で炊く石けん
木村石鹸は、1924年に大阪で創業しました。はじめにつくったのは、化粧石けんや固形の洗濯石けん、粉石けんです。戦後は、風呂やトイレ、台所の洗浄剤へと、家庭用の品を広げていきました。
この会社には、創業のころから続けてきたつくり方があります。「釜焚き製法」です。大きな釜で油を炊き、石けんの素から自分たちでつくる。気温や湿度を見ながら、職人が五感で炊き上がりを判断します。アルカリの強さは、職人が舐めて確かめてきました。炊き上がった石けんの素は、温風を当てながら1週間ほどかけて乾かします。毎日ひっくり返して、風がむらなく当たるようにするのです。
手間のかかるこの製法を、創業から変えずに守ってきました。
石けんには、酸と混ざると洗う力が弱まる性質があります。体を洗うときは、この性質のおかげで肌の酸と反応し、皮脂を取りすぎずにすみます。石けんで洗うことの良さを、この会社は知り尽くしていました。
けれども、その石けんに「木村石鹸」の名前が付くことは多くありませんでした。仕事の柱は二つです。銭湯などで使う業務用の石けんと、他社のブランドで売られる家庭用品のOEM生産。どれだけ良いものをつくっても、店で客の目に触れるのは、注文主の名前でした。
年の売上は、6億円から7億円ほどで推移していました。
2006年には、生協から受けたトイレのノズル用洗浄剤が当たり、売上は10億円に届きます。けれども、似た商品が次々に出て、翌年には元の水準に戻りました。残ったのは在庫です。固定費や原料の値段も上がっていきました。
下請けの仕事は、当たれば大きい。外れれば、すべてが注文主の都合で決まります。
会社を率いていたのは、祥一郎の父の木村幸夫です。何でも自前でやる主義の人で、工場を建て増したときには、溶接や配管まで自分の手でこなしたといいます。釜で炊く石けんと同じく、手を動かしてものをつくることが、この会社の流儀でした。
「将来は継がない!」
2007年、社長だった木村幸夫が、東京への出張中に倒れました。会社の中で、跡継ぎの問題が浮かび上がります。
息子の木村祥一郎は、子どものころから「お前は木村石鹸を継ぐんだぞ」と言われて育ちました。父の仕事を手伝うこともありました。けれども、生き方を最初から決められることに、本人は反発します。
「人生なんで決められなあかんの?」
少年は胸の中で、こう誓いました。
「将来は継がない!」
大学では美術を学び、学芸員の道も考えました。1995年、同志社大学に在学中に、映画サークルの仲間とIT企業を立ち上げます。検索エンジンを開発し、やがて広告やウェブサイトの制作でも仕事を広げていきました。祥一郎はその会社で18年、商品開発やマーケティングを担い、副社長も務めます。父の幸夫は、息子の会社は「そう長くは続かんだろう」と見ていたといいます。けれども、10年たっても息子は戻ってきませんでした。
家業に戻ったのは、2013年です。41歳で常務取締役に就きました。初めは、数年手伝ったらITの世界に戻るつもりだったといいます。会社を立ち上げてから、18年がたっていました。
前の仕事が充実していただけに、入社したときには「これからの人生は、仕事は仕事と割り切らなくては」という諦めがあったといいます。けれども家業を手伝ううちに、祥一郎は、それまで目を背けてきた石けんづくりの面白さに初めて気づきます。
営業利益ゼロの会社
入社して見えた会社の姿は、厳しいものでした。祥一郎はこう振り返っています。
「僕は会社の営業利益がゼロで、赤字に突入するタイミングで入社しました。」
売上のおよそ7割は、OEMでした。しかも、その注文主はわずか2社です。会社の売上の大半を、たった2社が握っていたことになります。
「OEMは2社に依存していたため、交渉においても不利な状態でした。」
OEMの利益率は、毎年下がっていました。売上は7〜8年、ほとんど横ばいのままです。注文主が2社しかなければ、値段を下げてほしいと言われても断りにくい。断れば、売上の大半を失いかねないからです。
祥一郎は、利益が出ない理由を二つ挙げています。ひとつは、利益率が年々悪くなっていたこと。もうひとつは、OEMでは、良いものが必ずしも売れるとは限らないことです。
木村石鹸は、商品の企画から開発までを担ってきました。けれども「売る」ところは、注文主に任せきりでした。売ることに覚悟を決めて取り組めていなかったから、低い利益率に苦しんでいた。祥一郎自身、原因はそこにあったと語っています。
売れなかった洗剤に、名前をつける
祥一郎には、IT企業で18年かけて身につけたものがありました。インターネットを使った商品づくりと売り方です。ネットで宣伝し、ネットで売れば、この会社の石けんはもっと魅力的に見えるのではないか。
「自社の販路をつくり、OEMの取引先も分散できれば、経営状態は改善すると考え、2015年に自社ブランドを立ち上げました。」
こうして2015年4月20日、「SOMALI」が生まれます。釜で炊いた純石けんを原料にした、ハウスケアのシリーズです。売る場所は、まず自社の直販サイトでした。化学物質にアレルギーがある人や、子どもやペットのいる家庭でも使いやすい。そう打ち出しました。
ここで、冒頭の手がかりに戻ります。
いまSOMALIの台所用洗剤として売られている商品は、かつてOEMで世に出したものの、まったく売れなかった洗剤です。自信作だったのに、他社の名前では売れなかった。その商品を、今度は自分たちの名前で売り出したのです。
店では売れなかった洗剤でも、考え方を伝えて使う人に直接届ければ、受け止められ方は変わる。そう賭けたのです。良いものが、OEMでは売れなかった。それなら、自分で売る。私の見方では、この一品に、自社ブランドに踏み出した理由がそのまま詰まっています。
売り方も、それまでとはまるで違いました。注文主に見本を出して採用を待つのではなく、自社のサイトで商品の考え方を説明し、使う人に直接届ける。祥一郎がIT企業で培った経験を、石けんの売り方に生かした形です。
SOMALIは、アレルギーに悩む人や、石けんが好きな人の支持を集めていきます。2019年の時点で、自社の通販サイトを含めて約200の店で扱われていました。2016年、祥一郎は4代目の社長に就きます。
減るはずの仕事が、増えた
祥一郎は、自社ブランドを始めれば、OEMの仕事はむしろ減っていくだろうと予測していました。OEMの利益率が悪くなったことをきっかけに始めたのだから、OEMは縮んでいくはずだ、と。
ところが、そうはなりませんでした。自社ブランドが伸びるのと一緒に、OEMの売上も伸びていったのです。
祥一郎は、その理由をこう見ています。自社ブランドを出したことで、木村石鹸の技術が外から見えるようになった。そして、「一緒に新しい商品をつくろう」と声をかけてくる会社が増えた、と。
それまで木村石鹸の技術は、注文主の名前の陰に隠れていました。SOMALIは、その技術に名前を付けて、店の棚に並べたことになります。
かつて2社だったOEMの取引先は、10数社から20社ほどにまで広がりました。2社に頼っていたころのように、1社の注文で会社が揺れることはなくなります。
2017年には、中国向けのネット販売も始めます。この年の年間売上は、11億7,300万円。ヒットが出た2006年の10億円を超えました。

社員が、自分に値段をつける
名前を出したのは、商品だけではありませんでした。
2019年12月、木村石鹸は給与の決め方を変えます。「自己申告型給与制度」です。生きがいラボという会社が考えた制度をもとに、2019年6月から半年かけて試しに回し、そのうえで本格的に切り替えました。社員が、次の半年でどんな貢献をするかを提案し、それに見合うと思う給与の額を自分で申告する。各グループのマネジャーが全員集まる「投資額決定委員会」で、その提案を一緒に検討します。
試しの期間を含む最初の2回で、ざっくり言えば6割ほどは提案どおりに認められました。3割ほどは、貢献の中身か額の見直しを求められています。そして1割ほどは、提案より給与を上げる方向になりました。
祥一郎は、この制度の考え方をこう書いています。
「社員が自身の働きや貢献について、これぐらいの価格だと自ら値付けてみる。それを会社側が承認できるかどうか。結局、それだけのことです。」
この制度が見るのは、過去の結果ではありません。次の半年に何をするかという、これからの働きです。
「僕らは給与の決定も、何かの結果が反映されるものではなく、その人の未来(次期)の働きや活躍に期待して決めるべき」
給与は半年ごとに一から決め直す。祥一郎はそれを「毎回『洗い替え』です。」と表現しています。
社員が自分から動く空気は、商品にも表れていきます。木村石鹸の新しい商品の多くは、会社の指示ではなく、現場の社員が自分から考えたものです。
ひとりの社員がおよそ5年をかけて開発したシャンプーとコンディショナー「12/JU-NI(ジューニ)」は、その代表です。パッケージには「合う人と合わない人がいます」と書きました。良い面も悪い面も伝えたうえで、選んでもらう。この商品は、自社ブランドの中でいちばん売れる商品に育っていきます。クラウドファンディングで先に注文を集めるだけのつもりが、反響の大きさから一般販売に踏み切ったほどでした。
自社ブランドを始めてから、若い人も入ってくるようになりました。新卒の採用は、2024年の時点で7年続いています。
自社ブランドが売上に占める割合は、2023年におよそ3割。2024年には4割に伸びる見通しを立てていました。2025年6月期の売上は17億円、社員は56人です。2026年5月には、テレビの経済番組でも、社員が自分で給与を提案する石けんメーカーとして紹介されました。
2024年4月、木村石鹸は創業100年を迎えました。その節目に、会社として初めての固形石けんをクラウドファンディングで発表します。名前は「木村石鹸の木村石鹸」。いつもの釜焚きではなく、熱を加えないコールド製法でつくった石けんです。かつて他社の名前の陰にいた会社が、100年目には社名そのものを商品の名前にしました。
同じ月、会社のウェブサイトと自社の通販サイトもひとつにまとめました。前に会社のサイトを作り直したのは、およそ10年前。祥一郎は、作り直す理由を「ビジネスモデルが変わったから」と説明しています。自分の名前で売る商品が増え、お客様が知りたいのは「会社」より「ブランドや商品」になった。10年で、会社の顔そのものが入れ替わったことになります。
そのとき、会社が動いた
木村石鹸の転機は、2015年4月20日にあります。釜で炊いた石けんに、初めて自分たちの名前を付けて売り出した日です。
私の見方では、名前を出すことは、責任を引き受けることでもありました。OEMなら、売れても売れなくても、最後に決めるのは注文主です。自分の名前で売れば、売れなかったときの責任も、自分たちで負うことになります。祥一郎が「売る」ことへの覚悟と言い表したのは、その重さだったと私は考えます。
そして、その覚悟が、思わぬ形で返ってきました。名前を出したことで技術が見えるようになり、注文主の数まで増えたのです。隠れていたものを表に出したとき、会社は初めて、外から正しく値踏みされるようになりました。
もうひとつ、目を引くことがあります。父の幸夫は、工場の溶接まで自分でこなす、何でも自前の人でした。ただ、その自前は、つくるところで止まっていました。息子の祥一郎がしたのは、その自前を「売る」ところまで延ばすことだったように、私には見えます。継がないと心に決めて家業から離れていた18年は、家業から見れば遠回りでした。けれども、その遠回りで身につけたネットで売る力が、釜で炊く石けんを、注文主の棚から自分たちの棚へと運んだのです。
父の流儀は、捨てられたのではありません。形を変えて、受け継がれました。
社史に残すなら、次の3つの場面だと私は考えます。2013年、営業利益がゼロの会社に、継がないと決めていた息子が入った日。2015年4月20日、OEMで売れなかった洗剤に、自分たちの名前を付けて売り出した日。そして2019年12月、社員が初めて自分の給与を自分で申告した日です。
1924年から続く釜の前で、何が守られ、何が変わったのか。それを当事者の言葉で残せるのは、いまのうちです。
あなたの会社が、ほかの会社の名前の陰でしてきた仕事は何ですか。
会社の歩みを、その理由まで読めるかたちで残しておきたい方は、KATARUの読みもの(https://kataruai.com/shiryo/)もあわせてご覧ください。
参考にした公開情報
- 木村石鹸工業株式会社 プレスリリース「SOMALI(そまり)発売」(2015年4月20日)https://resemom.jp/release/prtimes/20150420/10796.html
- Forbes JAPAN「古くて、非効率。老舗の木村石鹸に地方企業の成功モデルを見た」(2019年3月13日)https://forbesjapan.com/articles/detail/25987
- Forbes JAPAN「IT起業家から石鹸工業へ。木村社長が『人を信じる』経営で手に入れたもの」(2021年10月1日)https://forbesjapan.com/articles/detail/43431
- 社長名鑑「木村石鹸工業株式会社」https://shachomeikan.jp/industry_article/2515
- 木村祥一郎(note)「自己申告型給与制度への切り替え~どんな制度なのか?」(2020年1月20日)https://note.com/yudemen/n/nbf85601300ce
- MarkeZine「木村石鹸、10年の変化を体現するサイトリニューアル」(2024年6月12日)https://markezine.jp/article/detail/73731
- MONOist「覚悟決めて売る! 老舗石けんメーカーがこだわる“クリーン”なモノづくり」(2024年9月30日)https://monoist.itmedia.co.jp/mn/articles/2409/19/news004.html
- テレビ東京「カンブリア宮殿」木村石鹸工業 社長 木村祥一郎氏(2026年5月14日放送)https://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/backnumber/2026/0514/
連載「そのとき、会社が動いた。」は、公開情報で読む、あの会社の社史です。
※この記事は公開情報をもとにKATARUが独自にまとめたもので、木村石鹸工業株式会社とKATARUの間に関係はありません。
この記事は、noteの連載「そのとき、会社が動いた。」にも掲載しています(noteで読む)。
公開日:2026年10月23日 KATARU(運営 ミダスマーケティング)