2018年9月、東京・立川のショッピングモール「ららぽーと立川立飛」に、見慣れない店が開きました。
店の名前は「ワークマンプラス」。並ぶのは、高い水をはじく上着や、汗をかいても冷たく感じるTシャツ、軽い靴です。開店すると、レジには列ができ、入場を制限するほどの人が集まりました。駐車場の前では車が渋滞し、列は3時間を超えたといいます。
店を開いたのは、作業服の専門店として全国に800を超える店を持つワークマンでした。建設現場や工場で働く人のための店で、朝7時に開きます。
ところが、この新しい店に並んでいた商品は、新しく作ったものではありませんでした。それまでのワークマンの店で売っていたものと、ほぼ同じです。変えたのは、マネキンと、並べ方と、店の場所でした。
同じ商品で、なぜ3時間の行列ができたのか。その答えは、開店の6年前に入社した一人の役員が、最初の2年間「何もしなかった」ことから始まります。
- 1980年 群馬県伊勢崎市に1号店(いせやの一部門として)
- 1982年 株式会社ワークマンを設立
- 2012年 土屋哲雄が入社
- 2015年ごろ 来店客の2割が一般のお客様だと分かる
- 2017年 一般向けのブランド3つを既存の店で売り始める
- 2018年9月 ワークマンプラス1号店(ららぽーと立川立飛)
- 2020年10月 「#ワークマン女子」1号店
- 2023年9月 店の数が1,000店に
職人のための店
ワークマンの始まりは、1980年です。群馬県伊勢崎市に、作業服と作業用品の店の1号店が開きました。いまのベイシアグループの源流にあたる「いせや」の一部門としての出発です。2年後の1982年、株式会社ワークマンが生まれます。
お客様は、現場で働く人たちでした。丈夫で、安くて、長持ちする。ワークマンは作業服を深く掘り下げ、店を増やしていきます。2000年に500号店、2018年1月には1,000号店を開きました。店の多くは、地元の人が営むフランチャイズの店です。加盟店の契約は6年ごとですが、更新する店は99%にのぼり、子どもに店を継ぐ例も半分近くあります。
裏を返せば、それだけ同じ形で長く続いてきた会社だったということです。作業服の店として、業界の首位。2位の会社の店は、およそ50でした。
ただ、作業服を買う人の数には限りがあります。どれだけ店を増やしても、現場で働く人がいなければ、お客様は増えません。
「何もしなくていいから来い」

2012年、この会社に一人の男性が入ってきます。土屋哲雄。三井物産で30年以上、新しい事業を立ち上げてきた人です。60歳を目前にした土屋に声をかけたのは、ベイシアグループの創業者で、当時ワークマンの会長だった叔父の土屋嘉雄でした。
誘いの言葉は、こうでした。
「何もしなくていいから来い」
別の場では、そのときの言葉を「昼寝してても5年ぐらいはやっていけるから、しばらくは何もしなくていい」と紹介しています。会社は順調でした。急いで何かを変える理由は、少なくとも数字の上にはなかったのです。
土屋は、本当に何もしませんでした。入社してからの2年間、北海道から九州まで、加盟店を回るスーパーバイザーについて歩き、社員の話を聞き続けたのです。商社では、自分から動いて事業をつくる側にいました。その頃を、土屋はこう振り返っています。
「それまで30何年間、人の話は聞いたことがなかった」
考え方も変わりました。商社では、可能性のある話には何でも手を出すのが仕事でした。ワークマンでは逆に、手を出さないことを覚えたといいます。土屋は、この変化を「『何でも手を出す』から『何にでも手を出さない』に」と表しています。
2年歩いて見えてきたのは、二つのことでした。
一つは、市場の限界です。作業服だけでは、この先の伸びは見込めない。もう一つは、社員の気持ちです。創業から作業服ひと筋でやってきた会社で、社員の多くは新しいことに挑みたがっていました。土屋は「社員がワクワクしていない」と感じたといいます。
私の見方では、この2年が、のちの行列の土台になりました。外から来た役員がいきなり新しい事業を持ち込んだのではなく、現場を歩いて、会社がすでに持っているものを確かめた。何を売るかより先に、誰と売るかを見ていたのです。
来店客の2割は、職人ではなかった
土屋が次に手をつけたのは、数字でした。
入社したころのワークマンには、商品や客についてのデータがほとんどありませんでした。土屋は社員にエクセルを学ばせ、数字を集めて分析する仕組みをつくっていきます。ただし、その狙いを、土屋は儲けとは別のところに置いていました。
「データ経営は儲けのためではありません。」
目的は、誰の勘でもなく、数字をもとに話し合える会社にすることでした。
その数字が、意外な事実を映し出します。2015年ごろ、来店客を調べてみると、作業服を買いに来た職人ではない人が、2割ほどいたのです。
「調べてみたら来店客の2割が一般客だったんです」
なぜ一般のお客様が来るのか。土屋は「作業着の丈夫で安くて長持ちというイメージが定着し始めたんだと思います。」と見ていました。職人に認められてきた品質が、口づてに、現場の外まで伝わっていたのです。
職人のための店に、職人ではない人が来ている。何を買っているのかを見ていくと、一つの商品が浮かびました。建設現場の雨の日のためにつくったレインスーツです。安くて、雨や寒さに強い。この雨具が、バイクに乗る人たちの間でSNSを通じて広まっていました。
「ライダーの需要は想定外だった」
土屋は、こう話しています。現場の雨に耐える服は、雨の中を走るバイクにも向いていました。会社が考えもしなかった使い道を、お客様の方が先に見つけていたのです。
つまり、ワークマンの商品は、すでに作業服の外で売れ始めていました。足りなかったのは商品ではなく、一般のお客様が「自分のための店だ」と思える入り口でした。
「ダサい」と分けられた8割
それでも、ワークマンの店は、一般のお客様が気軽に入れる場所ではありませんでした。
社内で作業服を分けてみると、その8割が「ダサい」に入りました。業界では、ほかの会社がおしゃれな作業服を出し始めていました。土屋は、そのときのことを「かっこいい作業服に分類できるものがほとんどないことに愕然とした」と語っています。
そこで会社は、作業服とは別に、一般の人に向けたブランドを3つ立てます。アウトドアの「フィールドコア」、スポーツの「ファインドアウト」、雨具や防寒着の「イージス」。2017年3月期から、まずは今ある店で売り始めました。
売上は、初年度の30億円から、翌年には60億円に倍増します。2019年3月期には115億円を超える見込みになりました。商品の力は、数字で確かめられたのです。
残るは、売り場でした。朝7時に開く職人の店に、週末の家族連れはなかなか来ません。土屋が選んだのは、人が集まるショッピングモールでした。
開店を前に、土屋は「ららぽーとは格好の立地だ」と話し、まず知名度を上げたいと語っています。目標は、ワークマンプラスを100店まで増やし、売上高120億円にすること。開店の前には、ブロガーなど発信力のある人を招いて、店を先に見てもらう内覧会を開く段取りも組んでいました。売り場で接客をしなくても、商品そのものが語ってくれる。そう考えていたからこその準備です。職人の口コミで広がってきた会社が、今度は一般の人の口コミに火をつけようとしたのです。
同じ商品を、違う店で

2018年9月、ららぽーと立川立飛に、ワークマンプラスの1号店が開きます。
並べたのは、それまでの店と同じ商品でした。変えたのは、見せ方です。マネキンに着せ、作業服の店とは違う雰囲気の売り場をつくる。接客はせず、お客様が自由に手に取れるようにする。値段は、高い水をはじくシェルジャケットが1,900円、冷感のTシャツが580円でした。近くのアウトドア用品の店と比べると、機能は上で、値段はおよそ10分の1だったといいます。
この値段には、作業服の店ならではの理由があります。ワークマンは、粗利を35%より多くは取らないと決めています。しかも、ふつうのアパレルの服が1年で売り場から消えるのに対し、ワークマンの商品は5年売り続ける前提でつくります。毎年新しい服をつくり直さなくてよい分、一つの商品を安く、長く売れるのです。職人の店で何十年も続けてきたこのやり方が、一般のお客様には驚くほどの安さに見えました。
商品づくりの姿勢も、変えませんでした。土屋は「ダントツの商品しか市場に出さないんです」と話しています。性能か値段のどちらかで、ほかに負けない商品だけを出す。一般のお客様向けの店でも、職人の店と同じ物差しを使ったのです。
結果が、3時間の行列でした。
土屋は、このとき確信したことを、こう語っています。
「これは器だけ作ればいい。中身はワークマンの社員が作ってくれる」
ここが、ワークマンの「そのとき」です。会社は、新しい商品をつくったのではありません。社員が長年つくってきた商品を、新しい器に入れたのです。
ワークマンプラスの売上は、計画の2倍から3倍で動きました。開店から半年で、店は全国16店に増えました。テレビの情報番組や経済番組で取り上げられた回数は、50回にのぼります。会社は、これからの新しい店をすべてワークマンプラスにすると決めます。2019年3月期、チェーン全店の売上高は930億円と、前の年より16.7%増えました。
作らずに、広げる
その後のワークマンも、同じやり方を続けていきます。
2020年10月には、女性に向けた「#ワークマン女子」の1号店を開きました。場所は、横浜のショッピングモール「コレットマーレ」です。このときも、土屋は「#ワークマン女子のために1点たりとも新しく創ったものはありません」と話しています。商品はワークマンプラスとすべて同じで、見せ方を女性に向けて変えただけでした。
商品を磨く手も、外に広げました。アウトドアやキャンプが得意なブロガーやYouTuberに、商品づくりに加わってもらう仕組みです。ある綿の上着は、ブロガーが記事で紹介したあと、年に2,000着ほどだった売上が10万着になりました。職人の服を職人に聞いてつくってきた会社が、アウトドアの服はアウトドアの人に聞くようになったのです。
2018年の秋には、取引のある有力なブロガーが50人ほどになっていました。年に2回の新商品の発表会には、遠くからでも人が集まったといいます。土屋は「皆、ワークマンのことが好きで遠方からでも発表会に来てくれます」と話しています。お金を払って宣伝を頼む相手ではなく、商品を好きな人に、商品づくりの仲間になってもらう。私は、これもまた「中身は社員が作ってくれる」と同じ考えの延長にあると考えます。作り手を、社の外にまで広げたのです。
数字は大きく変わりました。2018年の秋、ワークマンの店の数は826で、ユニクロの831とほぼ並んでいました。その後、ワークマンは店の数でユニクロを上回ります。チェーン全店の売上高は、2018年3月期の797億円から、2021年3月期には1,466億円、2024年3月期には1,752億円になっています。6年で2.2倍です。ワークマンプラスに乗り出してから2年半で、一般のお客様向けの売上は500億円に達しました。2024年3月末の店の数は1,011。そのうち552がワークマンプラスで、もとのワークマンの401を上回りました。作業服の店は、いまでは店の半分あまりが一般のお客様向けの看板を掲げています。
伸びた分は、社員にも返しました。役員を6人から3人に減らし、その分を社員の給料に回す。土屋は、5年で給料を100万円上げると宣言しています。社員がワクワクしていないと感じたところから始まった変化は、社員の暮らしにも届くところまで来ていました。
払ったもの
順風ばかりではありません。
店名は、5年のうちに3回変えたといいます。「#ワークマン女子」も、2年で店名を変えました。大型のショッピングモールに出した店では、家賃の安い店ほど業績が悪いという、思っていたのと逆の結果も出ています。円安の中でも値上げをしない方針をとり、2期続けて利益を減らしました。
こうしたやり方は、外からも注目されました。2019年には「マーケター・オブ・ザ・イヤー」の大賞と、優れた戦略の会社に贈られるポーター賞を受けています。それでも土屋は、うまくいったことばかりを語りません。
「自分の判断は半分間違う」
だからこそ、決めたことを社内の数字で確かめ、間違えたら直す。土屋は、ワークマンでは「戦略」という言葉を使わないとも話しています。会社の向かう先は、上から決めるのではなく、現場が試したことの中から見つけていく。データで議論する会社にしたのは、そのためでもありました。
社史の目で見ると
同じ商品で、なぜ3時間の行列ができたのか。
私は、ワークマンが「すでに売れているもの」を見つけたからだと考えます。新しい商品をつくったのではなく、職人のためにつくった服が、職人でない人に選ばれていることに気づいた。その気づきに、データと、入り口となる店を与えたのです。商品を変えずに客を変える。言葉にすると簡単ですが、それには、自分たちの商品をいちばんよく知る社員と、外から来て現場を歩いた人の両方が要りました。
社史に残すなら、次の三つの場面だと考えます。
一つ目は、土屋が加盟店を回った2年間です。誰の、どんな言葉が、「社員がワクワクしていない」という気づきにつながったのか。何もしなかった2年は、決算書には何も残りません。けれども、会社の向きを決めたのは、この2年でした。
二つ目は、来店客の2割が一般のお客様だと分かった日です。誰が、どんな調べ方で、その数字を出したのか。データのない会社にデータが生まれた最初の場面は、次の世代にとっての手本になります。
三つ目は、立川の店の前に行列ができた朝です。それを見た社員が何を思ったのか。長く作業服をつくってきた人たちにとって、自分たちの商品に一般のお客様が並ぶ光景は、特別なものだったはずです。その場にいた人が語らなければ、この朝の空気は残りません。
あなたの会社の商品は、思ってもみなかった誰かに、もう選ばれていませんか。
会社の歩みを、その理由まで読めるかたちで残しておきたい方は、KATARUの読みもの(https://kataruai.com/shiryo/)もあわせてご覧ください。
参考にした公開情報
- 株式会社ワークマン 有価証券報告書(2021年3月期、2024年3月期)https://edinetdb.jp/company/E03296/text
- WWDJAPAN「作業着のワークマンが『ポスト・ユニクロ』に名乗り 仕掛け人に聞く」(2018年9月3日)https://www.wwdjapan.com/articles/679373
- 現代ビジネス「ワークマンのカジュアル店が『ユニクロ』『ZOZO』よりすごいワケ」(2018年11月2日)https://gendai.media/articles/-/57885
- ITmedia ビジネスオンライン「行列ができた『ワークマンプラス』、その後どうなったのか?」(2019年6月12日)https://www.itmedia.co.jp/business/spv/1906/12/news008.html
- MarkeZine「ブルーオーシャンでしか勝負しない 『ワークマンプラス』のブランド戦略とデータ経営」(2019年6月25日)https://markezine.jp/article/detail/31343
- 現代ビジネス「三越伊勢丹とワークマン」(2020年2月28日)https://gendai.media/articles/-/70668
- ダイヤモンド・オンライン 土屋哲雄・入山章栄 対談7(2020年12月2日)https://diamond.jp/articles/-/255192
- 吉田秀雄記念事業財団『アド・スタディーズ』Vol.76 土屋哲雄インタビュー(2021年)https://www.yhmf.jp/as/.assets/ADST_vol.76_28-34.pdf
- PRESIDENT Online「ワークマンをユニクロ超えさせた『凡人経営』」(2026年6月5日)https://president.jp/articles/-/113093
連載「そのとき、会社が動いた。」は、公開情報で読む、あの会社の社史です。
※この記事は公開情報をもとにKATARUが独自にまとめたもので、株式会社ワークマンとKATARUの間に関係はありません。
この記事は、noteの連載「そのとき、会社が動いた。」にも掲載しています(noteで読む)。
公開日:2026年10月24日 KATARU(運営 ミダスマーケティング)